メッセージの辞書的な意味は「あることを知らせたり主張したりするために伝える言葉」だ。政治の分野ではキャッチフレーズ(注意を引くための標語)やスローガン(主義や主張を簡潔に表した短い語句)という意味でも使われる。
韓国政治史において大衆に強く刻みつけられた政治メッセージは、1956年の第3代大統領選挙で野党民主党が掲げた「生きていけない、変えてみよう」だった。自由党はこれに対し「変えたところで意味がない」と応酬した。2004年の第17代総選挙で民主労働党の掲げた「金持ちに税金を、庶民に福祉を」も注目された。「バカだな、問題は経済だ」(1992年、ビル・クリントン)は、今でも語られる政治メッセージの古典だ。2024年の4・10総選挙で与野党を率いた各党の代表は、どのようなメッセージを打ち出し、どのような成果を得たのだろうか。
ブランドバッグ、長ネギが「政権審判」の素材に
先月28日、総選挙の公式選挙運動の初日。共に民主党のイ・ジェミョン代表はソウルの龍山(ヨンサン)駅広場で選挙対策委員会の出陣式を行い、尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権を標的とした「政権審判」を前面に掲げた。大統領室から1キロあまりしか離れていない場所で出陣式をおこなったことからして、それを意図したものだった。
イ代表の総選挙メッセージは「選択と集中」が特徴だった。民主党の選挙対策委員会は公式選挙運動の開始に際し、すべての候補者の陣営に「総選挙演説メッセージ参考資料」を配布した。この資料には、キム・ゴンヒ女史のブランドバッグ授受、楊平(ヤンピョン)高速道路特恵疑惑など、尹錫悦政権の10大失政が掲載されている。イ代表はこのような失政を「政権審判」の素材として用いることで一貫していた。
またイ代表は、「長ネギ」という象徴を用いて物価問題を集中的に利用した。自ら長ネギを手に取って演説をおこなったりもした。経済破綻を強調して「政権審判」というメッセージを強めるための戦略だった。このように「政権審判」というメッセージを重視した結果、少子化や青年雇用などの民生政策はよく見えなかったとの批判も浴びた。
9日の最後の演説でも、イ代表は龍山駅広場で「政権審判」を強調した。選挙運動の最初と最後で、いずれも「政権審判」を強調したのだ。
「ゾウのことは考えるな」と言ったのに
国民の力のハン・ドンフン非常対策委員長は、野党の「政権審判」に対抗するために「犯罪者審判」へとフレームを転換しようとした。米国の認知言語学者ジョージ・レイコフは自著『Don't Think of an Elephant(ゾウのことは考えるな)」で、フレーム概念を説明した。一方がうまいフレームを作ってしまうと、もう一方は反論するだけでは効果がない。「ゾウのことは考えるな」と言われると、本当にゾウを思い浮かべるというのだ。
ハン委員長は「イ、チョ(イ・ジェミョンとチョ・グク)審判」を掲げ、「善良な検事」と「犯罪者勢力」の対決というフレームを作ろうとした。野党の候補であるイ代表と祖国革新党のチョ・グク代表がいずれも裁判を抱えていることを利用し、司法リスクを強調して野党の「政権審判」に対抗することを意図したものだった。公式の選挙運動初日の先月28日のソウル麻浦(マポ)での応援演説でも、ハン委員長は「私たちは政治改革と民生改革、犯罪者を審判するという覚悟で今回の選挙に打って出た」とし、「『イ、チョ審判』を行わなければならない。これはネガティブではなく民生」だと述べている。
だが、このようなフレーム転換戦略は「政権審判」に比べて破壊力が弱かった。先の大統領選挙で尹錫悦候補の掲げた「公正」と「常識」というメッセージは民意に刺さったが、「イ、チョ審判」は良い反応が得られなかった。国民の力の内部では、むしろ「政権審判」を想起させるという批判の声もあがった。ユ・スンミン前議員は4日のCBSラジオの番組「キム・ヒョンジョンのニュースショー」で、「イ、チョ審判」について「野党の土俵に乗るもの」と指摘した。「審判」というメッセージは「政権審判」を連想させるため、有権者の怒りの投票へとつながりうる、との批判だった。
ハン委員長はしかし、「イ、チョ審判」とのメッセージを強めるために、便法融資と暴言で批判にさらされた民主党のヤン・ムンソク、キム・ジュンヒョクの両候補に犯罪者フレームをはめ、戦線を拡大した。ハン委員長はソウルの清渓川(チョンゲチョン)でおこなった最後の演説でも、「大韓民国は産業化と民主化を同時に成し遂げた偉大な国であり、我々はそれを成し遂げた偉大な国民」だとしつつ、「何でもできるように犯罪容疑者たちに渡すのは非常にもったいないではないか。虚しすぎるではないか」と述べた。
カン・ウォングク元大統領府演説秘書官は、「政治メッセージは大衆が情緒的に同意し、直観的に感じられるようにしなければならない。だが『イ、チョ審判』は共感を得ることが難しかった」とし、「現政権は検察政権というイメージが強いが、審判という単語が検察のイメージとオーバーラップし、逆効果になった」と指摘した。カン元秘書官はまた、「ハン委員長が失政を反省し、残りの3年間で変身するというメッセージを発していれば、もう少し共感を得られただろう」と付け加えた。
「与党はうそでも未来を見せるべきだった」
チョ・グク代表のメッセージは鮮明さが特徴だった。代表的なものが「3年は長すぎる」で、政権発足から2年もしないうちに行われた総選挙で掲げる「政権早期終息」の意志を込めたメッセージだった。「小選挙区は民主党、比例代表は祖国革新党」を意味する「地民比祖」も、祖国革新党を象徴するメッセージとなった。
チョ代表は自身のメッセージを強めるための戦略として、大衆演説を適切に用いた。アリストテレスは『弁論術』で、他人を説得するためのロゴス(理性的な論理)、パトス(聴き手の感情と欲望)、エートス(話し手の人格と倫理性)を強調した。チョ代表はその中でも大衆の感情、パトスを刺激した。「もうやめろ」、「びびったね」などの、国民の力を標的にした釜山方言による発言が代表的な例だ。このような戦略によってチョ代表は、不公正や偽善の象徴から、現政権に怒る市民の熱望を背負う政治家になった。チョ代表はソウル鍾路区(チョンノグ)の世宗文化会館前でおこなった最後の演説で「光化門(クァンファムン)は朴槿恵(パク・クネ)政権を早期終息させた『ろうそく名誉革命』の象徴的な場所」、「私たちの誰もが思っているのは、この2年はうんざりしたということ、残りの3年は長すぎるということ」と強調した。
慶煕大学フマニタスカレッジのキム・ジンヘ教授は、「政治メッセージは、大衆の視線をどこに向けるかを考えなければならない。野党は政権党の失政に、与党は未来に目を向けさせるメッセージに焦点を当てるべきだった。チョ・グク代表は言葉の現場性と方言の民衆性をよく生かして大衆を直ちに反応させ、心を激しく動かした」と指摘した。そしてキム教授は「(与党は)『偉大な普通の人々の時代』(1987年、盧泰愚(ノ・テウ))のように、うそであっても政権勢力が設計する未来を見せるべきだった」と付け加えた。