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[コラム]尹錫悦大統領は司法試験で8浪した

登録:2024-04-25 06:34 修正:2024-04-25 08:37
今、尹錫悦大統領は「言葉」でも変わると言ったことがない。「国政運営や意思疎通方式に変化があるか」という質問に「メッセージを出す時、平均的な国民が理解できるよう分かりやすくしようという意味」だとし、「進む方向に対してさらに説得し意思疎通を図る」と語った。「方向はきちんと立てたわけだから、きちんと知らせろ」という意味だ。ところで、「平均的な国民」とは一体誰のことなのか。 

クォン・テホ|論説委員室長
尹錫悦大統領が22日、龍山の大統領室庁舎で新任のチョン・ジンソク秘書室長を紹介している=大統領室写真記者団//ハンギョレ新聞社

 尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領がソウル大学法学部に入学した年は1979年だ。1982年、4年生の時に司法試験1次に合格した。それから9回にわたる挑戦の末、1991年に最終合格した。新林洞(シンリムドン)の考試院で生活したこともあり、父親が在職していた延世大学で、初期にはクォン・ヨンセ議員(1977年に大学入学、1983年に合格)と後期にはナ・ギョンウォン前議員(1982年に大学入学、1992年に合格)らと図書館で一緒に勉強した。

 8浪をするためには、まず経済的な後押しがなければならない。メンタルも強くなければならない。そして、少しは勉強に手を抜かなければならない。全力投球してはならない。新林洞でしばらく一緒に勉強した人たちの話によると、尹大統領は午前遅く後輩たちを連れて午後遅くまでブランチを食べてから、皆で冠岳山に登り、夕方頃に飲食店街である緑豆通りに繰り出すことがかなり多かったという。また、本人が語ったこともあるが、東洋哲学や宇宙科学などあらゆる雑学に関心を奪われ、一晩中受験書ではない本を読み漁ることも多かったという。どんなイシューでも博識であるため、「59分」のあだ名がついた。昨年6月、尹大統領はノーベル物理学賞受賞者など量子力学の科学者らの前で「量子科学技術の現在と未来の対話」を開いたことがある。非公式の場でも量子力学について尹大統領が主に話し、教授たちは聞いていたという。

 再び受験生時代に戻れば、最後には後輩たちを教えた。「この問題が出るだろう」と予想するなど、一流塾講師のような役割もしていた。それを聞いた後輩は合格したが、尹大統領は落ちた。理由を尋ねると、「見てない」と答えた。肝心な仕上げができてなく、詰めが甘いのだ。8浪には理由がある。尹大統領の司法研修院の同期がチョ・ユンソン元文化体育観光部長官(1984年に大学入学・外交学科)やカン・ヨンソク元議員(1988年に大学入学・法学科)などだ。

 今、尹大統領は総選挙に惨敗し、5年間ずっと「少数与党」でやっていかなければならなくなった。「弾劾」、「任期短縮改憲」などの言葉が時事番組でたびたび登場する。絶体絶命の危機だ。22日、予告もなしにブリーフィングルームを2度も突然訪ね、自らチョン・ジンソク秘書室長、ホン・チョルホ政務首席の任命を知らせ、1年5カ月ぶりに記者団の質問にも答えた。(大統領が)「記者の質問を受けた」が翌日の新聞記事の見出しだった。大統領は笑顔で、そう装っていたのかもしれないが、余裕があるように見えた。政権初期の友好的な雰囲気の中では、大統領が自ら任命した首席秘書官をブリーフィングルームで直接紹介したりする。文在寅(ムン・ジェイン)大統領もそうだったし、李明博(イ・ミョンバク)大統領も「ベスト・オブ・ベスト」だと言いつつそのようにした。

 ブリーフィングルームに鍵をかけ、首席・秘書官だけを座らせて国民向け談話を発表する時とは確実に変わった。それでも人々は皆「大統領は変わらないだろう」と言う。たいてい「言葉」では変わると言いながら、「行動」が変わらない場合が多い。ところが今、尹大統領は「言葉」でも変わると言ったことがない。その日のブリーフィングルームでも「国政運営や疎通方式に変化があるか」という質問に「メッセージを出す時、平均的な国民が理解できるよう分かりやすくしようという意味」だとし、「2年間国政課題を設計し執行する方に業務の中心があった。これからは進む方向についてさらに説得し、意思疎通を図る」と述べた。参謀たちに「変われ」と指示したのだ。「方向はきちんと立てたのだから、きちんと知らせろ」という意味だ。ところで、「平均的な国民」とは一体誰のことなのか。大統領選候補時代、尹大統領は「貧しければ自由を知らない」、「不正食品でも、お金のない人は安く食べられるようにしなければならない」と語ったことがある。

 大統領候補時代の2021年末、与党「国民の力」のイ・ジュンソク代表と決別し、支持率が落ち込んだ時、劇的に和解し互いに抱き合う姿を見せたこともあった。一度は拒否したイ代表の提案である「出勤途中の挨拶」も行った。しかし数カ月後、イ・ジュンソク代表に対する非難のメッセージに、親指を立てて「グッド」を示すチェリーのスタンプでクォン・ソンドン院内代表に返信し、しばらくしてイ代表は党から追い出された。

 尹大統領は就任2年間、儀典における些細なミスを無限に繰り返している。国軍の日の「部隊、休め」を言わなかったり、英国首相公館前を通り過ぎたり、NATO首脳会議入場時に夫妻の位置が逆になっていたり、写真撮影の位置が分からず日本の岸田文雄首相に案内されたりと、数え切れないほどだ。緊張せず、準備をきちんとせず、参謀たちの言葉を聞き流しているからだ。「ミス」の後にもそれを恥じたり、反省したりしないからだ。

 尹大統領は、大統領になってから何度も赤点を取った。ソウル江西(カンソ)区長の再・補欠選挙、釜山(プサン)万博の誘致、総選挙でいずれも惨敗した。8浪までは、あと5回の赤点が残っている。過去の8浪は個人の問題だったが、今は国民が一緒に同じ目に遭っている。

//ハンギョレ新聞社
クォン・テホ|論説委員室長(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1138018.html韓国語原文入力:2024-04-24 23:15
訳H.J

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