「真実・和解のための過去事整理委員会」(真実和解委)が1970~1990年代に韓国の子どもが国外に養子に出される過程で起きた養子縁組機関の違法行為および韓国政府の共謀・黙認疑惑を解明するための大規模な調査を進めている中、1970年代に外国政府が韓国政府に対し、養子縁組の対価として金のやり取りをしている養子縁組機関のあり方に抗議し、改善を求めた対話が記されている文書が確認された。
当時、韓国政府は「民間レベルの問題」だとして知らぬふりを貫いたが、違法な海外養子縁組がまん延するようになった背景には韓国政府の「黙認」があったことを示す文書だと評価される。
ハンギョレが12日に国家記録院から入手した1974~1981年の外務部(現在の外交部)作成の「孤児国外養子縁組」に関する対話録によると、当時ベルギー政府が違法ブローカーの介入などの韓国児童の海外養子縁組をめぐる問題を複数回提起していたが、韓国政府が黙認していた情況が多数確認される。焦れたベルギー政府は、朴正熙(パク・チョンヒ)大統領との面談まで要請していた。
「韓国の大使たちに忠告したが何の措置もない」
1978年5月1日、バンホーバ(Vanhove)在韓ベルギー領事は韓国外務部の欧州局長に会い、「ホルト養子会(ホルト児童福祉会)と関係を結んで働いているレバノン生まれのボーン(Born)という女性が、1人当たり800~1200ドルを受け取って韓国の孤児たちを(ベルギーに)売っている」とし、至急な事案なので朴正熙大統領に会ってこの話を伝えると述べた。ベルギーは1970年代後半まで米国、スウェーデン、デンマーク、ノルウェーに次いで韓国児童の養子縁組の多い国だった。
養子縁組の対価として金銭がやり取りされていれば児童売買とみなされうるため、ベルギー政府はこれを深刻な事案として受け止めたとみられる。バンホーバ領事は欧州局長に「昨年も保健社会部(現在の保健福祉部)の局長に会ってこの問題を伝えたが、何の結果も得られなかった。韓国政府に(ブローカーの介入を)やめさせるよう駐ベルギー韓国大使にも忠告したが、何の措置も取られていない」と強く抗議している。
官僚が養子縁組手数料を受け取っているとの疑惑にも言及
養子縁組に関する手数料は、当時の韓国の国内法でも違法だった。1977年に制定された養子縁組特例法施行令は「養子縁組の斡旋(あっせん)機関は、養親になる者から養子縁組の斡旋にかかった費用の全部、または一部の補償を受けることができる」と規定している。実費の補填のみ可能だという意味だ。
面談でバンホーバ領事は、韓国政府の高官が養子縁組の手数料の一部を受け取っているというベルギー内のうわさにも言及している。民間業者と政府との間にある種のカルテルがあるのではないかと迫ったのだ。
欧州局長は「担当の(保健社会部)婦女児童局長に会って話してみてくれ」と答えた。しかし、この日の面談の1年前の1977年6月27日、バンホーバ領事はすでに保健社会部の婦女児童局長に会い、同様の趣旨の抗議をおこなっている。特に措置が取られなかったため1年後に保健社会部ではなく外務部を訪ねた同領事を、保健社会部に送り返したのだ。
翌日バンホーバ領事と会った保健社会部の婦女児童局長は「孤児の養子縁組問題は民間レベルの事業だ。韓国政府は関与していない。もし(手数料を受け取るブローカーが)いるなら、それはベルギーの問題だ」と答えた。
その後も問題は解決されないまま、国外への養子縁組はさらに拡大した。昨年報道された、1988年に保健社会部によって作成された大統領府への報告文書には、「4つの養子縁組機関が養親から児童1人当たり1450ドルの養子縁組手数料と航空料を受け取っており、養育費の他にもさらに3千ドルから4千ドルの斡旋費を受け取っている」という内容が記されている。
問題を認識した韓国政府は「養子縁組事業制度の改善のための機関長会議」を開催してもいる。この会議では「養子縁組斡旋機関が収益金で莫大な不動産を取得している」、「途方もない弁公費として浪費している」、「養親から謝礼として多くの金を受け取っている」などの内容が話されている。
1980年代にホルトでの勤務経験を持つ崇実大学のノ・ヘリョン教授(社会福祉学)は、「韓国政府は養子縁組の需要が大きかった北欧諸国に対して、子どもたちを外交に利用してもいたとみられる」と語った。1977年にベルギーに養子に出されたユング・ピエレンスさん(47)は、「当時、韓国政府が養子縁組の誤った慣行に目をつぶっていたというのは衝撃的だ」とし、「このような不注意が数万人の子どもや家族、養親に及ぼした被害は相当なものだ。韓国政府が必要な措置を取っていたら、私のような養子が実の親から引き離されて地球の反対側の国に連れて行かれたりはしなかっただろう」と話した。