本文に移動

「総選挙敗北終末論」恐怖マーケティング…新党はばむ政治の両極化=韓国

登録:2023-12-11 02:17 修正:2024-05-20 11:30
ソン・ハニョン先任記者の「政治舞台裏」
国民の力のイ・ジュンソク前代表が11月26日、大邱北区のEXCOで開催された「より良い未来を目指す私たちの苦悩」と題するトークコンサートに先立ち、記者懇談会をおこなっている/聯合ニュース

 人は誰もが新しいものを好みます。初めての人に出会うと胸がドキドキします。物を買う際にも、まずは「新商品」に心引かれます。政治も同じです。新党の歴史はまさに韓国政治の歴史です。

 政党名に初めて「新」や「セ」(「新しい」を意味する韓国語)がついたのは、米軍政期の1946年でした。朝鮮独立同盟のキム・ドゥボン委員長が延安派の共産主義者とともに「朝鮮新民党」を結成したのです。同党は朝鮮労働党と南朝鮮労働党(南労党)に吸収され、消えました。

「新」や「セ」の付く韓国政党史

 1960年の4・19革命後には、民主党の旧派(ユン・ボソン、ユ・ジンサン、キム・ヨンサムら)が結党した「新民党」がありました。同党は1961年の5・16クーデターで解散しました。1966年には民衆党から分かれて「新韓党」ができ、1967年には民衆党と新韓党が再び合併して「新民党」が結成されました。まさにこの党こそ、韓国の野党史に大きな足跡を残したあの有名な新民党です。

 1971年の大統領選挙を控え、新民党の大統領候補を選ぶ党内選挙で金大中(キム・デジュン)、金泳三(キム・ヨンサム)、イ・チョルスンの3人が「40代騎手論」を掲げて登場しました。維新クーデター後も、新民党は朴正熙(パク・チョンヒ)の独裁と激しく闘いました。朴正熙の独裁は金泳三総裁の総裁職を剥奪し、議員職から除名しました。新民党は1980年、全斗煥(チョン・ドゥファン)新軍部クーデターで解散しました。そういえば、全斗煥政権も「新しいもの好き」だったようです。朴正熙軍部と差別化して自分たちを「新軍部」と呼んだのですから。

 1985年、金泳三と金大中の両キム氏は「新韓民主党」を結成しました。1987年の大統領選挙を前に、両キム氏は統一民主党と平和民主党(平民党)に分かれました。キム・ジョンピル総裁は1987年に「新民主共和党」を結成し、大統領選に出馬しました。1991年、平民党の金大中総裁は在野と手を組み、党名を「新民主連合党」に変更しました。いわゆるミニ民主党と新設合併して民主党となりました。1994年にはキム・ドンギルの統一国民党とパク・チャンジョンの「新政治改革党」が手を組んで「新民党」が結成されました。1995年に自由民主連合(自民連)に吸収されました。

 1995年に政界に復帰した金大中総裁は「新政治国民会議」を結成しました。これに対抗して金泳三大統領は民主自由党の党名を「新韓国党」に変更しました。1997年に新韓国党の大統領候補を選ぶ予備選挙で敗れたイ・インジェ元京畿道知事は、大統領選に出馬するために「国民新党」を作りました。大統領選挙での敗北後、新政治国民会議と合併しました。2000年、金大中(キム・デジュン)大統領は「新千年民主党」を結成しました。2007年の大統領選挙の最中には、キム・ハンギル代表の「中道改革統合新党」、オ・チュンイル、ソン・ハッキュ両代表の「大統合民主新党」が次々と現れては姿を消しました。2008年の総選挙の前には、民主労働党のノ・フェチャン、シム・サンジョン議員らが同党を離党し、「進歩新党」を結成しました。

 2012年の総選挙の前には、ハンナラ党の朴槿恵(パク・クネ)非常対策委員長が党名を「セヌリ党」へと変更しました。2014年にはキム・ハンギル代表の民主党とアン・チョルス代表の「新政治連合」が合併して「新政治民主連合」となりました。2022年の大統領選挙の前にはキム・ドンヨン代表が「新しい波」を結党し、後に共に民主党と合併しました。

 このように韓国の政党史には「新」や「セ」の付く政党が多く登場します。昔は漢字語の「新」がよく使われていたが、次第に純韓国語の「セ」が多くなってきた、という違いがあるだけです。今後、政界再編や新党結成がなされれば、再び「新」や「セ」を党名に使う政党を見ることになるでしょう。

 2024年4月10日の第22代総選挙を控え、新党説がさまざま飛び交っています。人の表現をそのまま使うと、「イ・ジュンソク新党」、「チョ・グク新党」、「ソン・ヨンギル新党」、「イ・ナギョン新党」、「ヤン・ヒャンジャ新党」、「クム・テソプ新党」などがあります。果たしてどの新党が成功するのでしょうか。

成功した新党の条件「大統領候補」

 この問題の答えを見つけるためには、「成功した新党」の概念を少し狭める必要があります。既存の与党と野党ではなく、第3の新たな政党として結成され、総選挙後に院内交渉団体を構成したものを「成功した新党」と定義します。この基準からみると、1980年代以降に成功した新党は、1985年の金泳三と金大中の新韓民主党、1988年の金大中の平民党、キム・ジョンピルの新民主共和党、1992年のチョン・ジュヨンの統一国民党、1996年の金大中の新政治国民会議、キム・ジョンピルの自民連、2016年のアン・チョルスの国民の党です。成功した新党には常に大統領候補級の政治家がいました。なぜでしょうか。韓国の有権者には政党より人を見る傾向があります。独裁の後遺症と勝者独占の大統領制の権力構造がその理由です。

 ならば、現在結党の最中にあるか、結党が試みられている新党の中で、成功の可能性が高い新党は、大統領候補級の政治家が推進している新党であるはずです。果たして誰が大統領候補級の政治家でしょうか。みなさんがそれぞれ判断してみてください。総選挙を4カ月後に控えた現在、政界が最も多くの関心を寄せているのは「イ・ジュンソク新党」です。イ・ジュンソク新党の出現は与党の分裂を意味するからです。イ・ジュンソク前代表は次のように述べています。

 「私は27日に動くと予告し、その日になれば100%です。その前に私が今、今日、本当に気持ちを少しずつ、1%ずつ高めていっているというのは、それは放送用の発言であって、実際には準備はすべてしています」(12月6日、CBSラジオ「キム・ヒョンジョンのニュースショー」)

 「今、首都圏地域で我が党は選挙を行える状態ではないと思います。だから私は12月27日と日付を決めてはいますが、私がある程度期待したほどの変化がない場合は、私は離党後に結党計画をそのまま実行する計画です」(12月7日、国民の力済州道党「青年・女性生活政治アカデミー」直後のブリーフィング)

 新党結成を既成事実としているようにみえますが、よく見るとそうでもありません。イ・ジュンソク新党の結成には「尹錫悦(ユン・ソクヨル)変数」が残っています。去年の大統領選挙の際に、イ・ジュンソク代表は選挙対策委員会の人選や「代表無視」問題などを理由に2度も「家出」しています。尹錫悦候補は「蔚山(ウルサン)会合」、「議員総会での抱擁」などでイ・ジュンソク代表を引き戻しました。イ・ジュンソク代表に離れられてしまえば、大統領選挙での敗北は確実だったからです。今回はどうでしょうか。尹錫悦大統領は司法試験を9回も受けた末に合格するほど執念深い人です。イ・ジュンソク前代表がいないと確実に総選挙で敗北すると判断すれば、イ・ジュンソク前代表をさらに強く引き戻すこともありうるのではないでしょうか。見守りましょう。

国民の力のユン・ソクヨル大統領候補とイ・ジュンソク代表が2022年1月6日夜、国会で行われた議員総会で抱き合っている=キム・ボンギュ先任記者//ハンギョレ新聞社

 近ごろ好事家の間で話題になっている「イ・ナギョン新党」はどうでしょうか。私は、可能性は0%だと思います。イ・ナギョン元代表は、今は尹錫悦大統領のそばにいるキム・ハンギル国民統合委員長やアン・チョルス議員とはまったく異なる人物です。民主党で政治をはじめ、国会議員を5期、全羅南道知事を1期務めました。文在寅(ムン・ジェイン)政権の首相でした。民主党の魂以外の何物でもない政治家です。イ・ナギョン、チョン・セギュン、キム・ブギョムの3人の元首相が連帯して新党を結成しうるという主張も、荒唐無稽な小説に過ぎません。チョン・セギュン元首相の政治人生は民主党そのものです。キム・ブギョム前首相は『私は民主党だ』という本まで書いた人です。

「新党を支持する考えはない」68%

 他の新党については詳しく言及しません。ただ一つ、残念ですが、今回の総選挙で新党が成功するのは難しいということだけ申し上げます。理由は次の3つです。

 第1に、政治の両極化です。2000年の情報化革命、2010年のモバイル革命以降、有権者の確証バイアスは次第に強まっています。政治家は選挙に勝つために、相手政党に対する支持層の怒りと憎悪を組織化しています。総選挙で負けたらこの世が終わるかのように扇動しています。私は先週の「ハンギョレTV-政治の舞台裏」で、最近の内閣改造を見て「大統領が総選挙に夢中になっている」と論評しました。民主党も同じです。民主党のイ・ジェミョン代表は、総選挙で民主党が第一党の座を奪われると尹錫悦政権の暴走が防げなくなる、と恐怖感をあおっています。おびえた有権者は、結局は国民の力か民主党かのどちらかを選択せざるを得ない状況に追い込まれています。

 第2に、選挙制度です。民主党がかつての並立型比例代表制への回帰へと傾いている背景には、国民の力より1議席でも多くを獲得しなければという計算のほかにも、「チョ・グク新党」、「ソン・ヨンギル新党」をけん制するという狙いがあります。「イ・ジュンソク新党」の出現を必死に防がなければならない国民の力も、事情は同じです。並立型へと回帰すれば、よほどのことがない限り新党が比例代表で議席を獲得することは難しくなります。

 第3に、世論です。聯合ニュースと聯合ニュースTVが今月6日に発表した定例世論調査では、「新党を支持する考えがある」との回答は25%、「新党を支持する考えはない」との回答は68%でした(中央選挙世論調査審議委員会ウェブサイト参照)。新党に否定的な意見が圧倒的です。

 ある人は、世論調査では無党派層の割合が30%に迫るため、新党の可能性はかなり高いとみています。それは間違っています。4年前の今ごろの世論調査でも、無党派層は25%前後とかなり割合が高かったのですが、新党は出現しませんでした。

国民の力のアン・チョルス議員が11月14日、国会でユン・ジェオク院内代表との面談を終え、取材陣の質問に答えている/聯合ニュース

 まとめます。先ほどご紹介しましたが、成功した新党の事例はほぼすべて政治の両極化現象が深刻化する前の1980年代と1990年代のものでした。2000年以降に成功した新党は2016年のアン・チョルス新党が唯一です。アン・チョルス新党の成功は、全羅道の反文在寅の流れとセヌリ党の公認問題が重なったことによる、極めて異例の出来事です。もしアン議員が今再び新党の結成に動いたら、どうなるでしょうか。100%失敗すると私は思います。

 私たちはいつごろ、政治の両極化のわなから解放されるのでしょうか。一体どうすれば、怒りと憎悪をあおって生きる二大政党の寡占体制から脱することができるのでしょうか。みなさんはどうお考えですか。

ソン・ハニョン|政治部先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/1119734.html韓国語原文入力:2023-12-10 07:30
訳D.K

関連記事