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尹政権、韓国独立の英雄・洪範図を消す…日本との戦闘についても「反共」攻撃

登録:2023-08-29 07:00 修正:2023-08-29 08:24
国防部、陸軍士官学校からの胸像移転に対する批判に 
「パルチザンとして戦闘参加の疑惑」
国防部は28日、陸軍士官学校の構内だけでなく国防部庁舎前に設置されている洪範図将軍の胸像についても必要に応じて移転を検討していると明らかにした。ソウル龍山区の国防部庁舎の前に設置された洪範図将軍の胸像の様子/聯合ニュース

 国防部は28日、「ソ連共産党への加入および活動履歴などの論議がある洪範図(ホン・ボムド)将軍の胸像が陸軍士官学校にあるのは適切ではない」という判断の根拠として、洪将軍のソ連共産党での活動を具体的に説明し、洪将軍が1920年に鳳梧洞・青山里(ポンオドン・チョンサンリ)戦闘にもパルチザンとして参加したという疑惑があると主張した。1920年6月、洪将軍が満州の鳳梧洞の谷間で独立闘争初の全面戦争を行い、武装独立運動史における不朽の勝利をおさめた歴史的業績についても、独立闘争でなく共産党活動の一環である可能性があるという「反共攻撃」を展開したのだ。

 国防部は同日夜に発表した「陸軍士官学校の洪範図将軍の胸像に関する国防部の立場」を通じて、「洪範図将軍の独立運動の業績は業績として評価するが、今後はソ連共産党の活動に同調した事実については分けて評価するのが適切だ」と主張した。「国防」に関連した場所では、「反共」を基準としてソ連共産党員だった洪将軍の胸像は容認しがたいというわけだ。

 国防部は「特に洪将軍のパルチザン証明書には活動期間は1919~1922年と記録され、1920年6月の鳳梧洞戦闘と1920年10月の青山里戦闘にもパルチザンとして参加したという疑惑もある」と主張した。

 国防部は、洪範図将軍が自由市惨変にも関係しているという疑惑も提起した。自由市惨変は、1921年6月にシベリアのスヴォボードヌイ(自由市)で武装解除を拒否した独立軍がソ連赤軍に攻撃され、400~600人ほどが死亡した事件だ。国防部は、洪将軍がソ連共産党による自由市惨変の際、独立軍500人を裁く裁判委員として活動し、自由市惨変の発生後はイルクーツクに移動してソ連赤軍第5軍団所属の「朝鮮旅団」第1大隊長に任命されるなどの歴史的事実があると主張した。

 また国防部はこの日、陸軍士官学校の構内だけでなく、ソウル龍山(ヨンサン)にある国防部庁舎前に設置された洪範図将軍の胸像についても、必要に応じて移転を検討すると明らかにした。陸軍士官学校も、金佐鎮(キム・ジャジン)将軍、池青天(チ・チョンチョン)将軍、李範奭(イ・ボムソク)将軍と新興武官学校の創立者である李会栄(イ・フェヨン)氏を合わせた5体の胸像のうち、洪将軍の胸像だけを学校外に移す案を検討していることが分かった。陸軍士官学校は当初、胸像5体をすべて天安(チョナン)の独立記念館に移そうとしたが、批判世論が激しいため、洪将軍の胸像だけを移す「変則」を試みているわけだ。国防部はこの日、海軍潜水艦「洪範図」の名称変更についても、「必要であれば検討が可能だと考えている」と述べた。

 国防部が「洪範図胸像の撤去」に踏み切ったのは、大統領室とのコンセンサスによるものとみられる。大統領室のイ・ジンボク政務首席はこの日、仁川(インチョン)国際空港公社の人材開発院で開かれた与党「国民の力」の議員研鑽(けんさん)会で、「(2021年8月に洪将軍の遺骨がカザフスタンから奉還された際)非常に盛大に執り行い、突然各地に胸像が設置され、陸軍士官学校にも胸像ができた。これがはたして正しいことなのかどうかは、国民の前で一度ふるいにかけるべきであり、問題があれば国民の意向に従うことが正しいのではないか」と述べた。

クォン・ヒョクチョル記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/1106139.html韓国語原文入力:2023-08-29 02:44
訳M.S

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