「こんにちは。学生独立運動家代表として卒業生代表挨拶を述べることになったキム・チャンドです。この意義深い卒業式に同志たちを代表してお話することができて感無量です。(…)同志よ、見ているか。我が大韓民国が独立を果たした。退学処分になったことで、仕事を見つけられず苦しんだり、学生時代に対する心残りもあるかもしれないが、今日この場に家族と一緒にいるから、そのような苦しい思いは一切無用です。(…)同志たちよ、我々のために用意されたこの卒業を一緒に祝おう」
先月15日、忠清南道天安市(チョナンシ)の独立記念館の壇上に、学生独立運動家のキム・チャンドさんが制服を着た学生の姿で現れた。1994年に亡くなったキムさんの学生時代を人工知能(AI)技術で再現したものだ。食品メーカーの「ピングレ」が国家報勲部と共に進めた「世界で最も遅れた卒業式」プログラムの一つだった。独立運動をしたという理由で退学、停学などの懲戒を受け、学生時代を日帝に奪われた学生独立運動家たちのために用意した「名誉卒業式」だ。
1カ月前に行われたこの行事の動画は、光復節78周年を迎え、11日にピングレのユーチューブチャンネルに掲載された。15日午前9時現在、160万に近い再生回数を記録し話題になっている。ユーチューブ動画には「独立運動家たちの犠牲を忘れず記憶にとどめる時間になった」「遅れた卒業式を心よりお祝い申し上げます」などのコメントが相次いでいる。
ピングレは功勲電子史料館に退学や停学などの懲戒記録がある学生独立運動家222人のうち、復元可能な写真資料が残っている94人を名誉卒業式対象者に選んだと明らかにした。昨年11月、国家報勲部が発掘して公開した日帝強占期(日本による植民地時代)の学生独立運動家2596人の学籍簿資料も対象者選びの基礎資料となった。国家報勲部は2596人の学籍簿を分析し、3・1運動や6・10万歳運動、咸興(ハムフン)学生事件、同盟休学、乃台事件など抗日運動で1033人が退学になり、565人が無期停学、483人が有期停学の処分を受けたと明らかにした。訓戒、無期謹慎などの懲戒を受けた学生独立運動家も数百人に達した。
彼らの大半は、学生だったにもかかわらず、憤然と立ち上がって日帝に対抗したことで、日本警察に捕まり拷問を受けたうえ、投獄され卒業もできなかった。
独立有功者の公的情報によると、卒業生代表挨拶を述べたキム・チャンドさんは水原高等農林学校在学中の1926年夏、同校生徒10人余りと共に抗日学生結社「健児団」を組織した。朝鮮人による朝鮮農村開発を目標に、農村を中心に夜学を作り抗日運動に力を注いだ。しかし1928年9月、団員全員が日本警察に捕まり、キム・チャンドさんは検挙当日に退学処分になったという。キムさんは18カ月間拷問を受け、1930年に治安維持法違反および保安法違反で懲役10カ月、執行猶予3年刑を言い渡された。
学生独立運動家のソ・グィドクさんは、光州(クァンジュ)女子高等普通学校在学中だった1929年11月、街頭デモで始まり全国に広がった光州学生抗日運動に参加したことで退学処分を受けた。当時、ソさんは16歳だった。名誉卒業式の動画で、ソ・グィドクさんの子孫は当時退学処分で「夢が打ち砕かれたと思う」と語った。
ピングレは卒業式に出席した学生独立運動家の子孫に名誉卒業証書と卒業アルバムを贈呈した。卒業アルバムには独立運動家たちの写真をもとにAI作業を通じて卒業当時の姿を再現した写真が載せられた。また「学生独立運動家の方々が当然受け取るべき卒業証書と学生時代の姿が込められた卒業アルバムを遅ればせながらお渡しすると共に、崇高な意に心からの感謝を申し上げる」と述べた。
動画でキム・チャンドさんの娘のキム・ウンギョンさんは、AIで父親の姿を見ることができると聞いて、「本当に父の学生時代の姿が見られるんですか? そんなことができるんですか?」という反応を示した。その後、父親の姿を見たキムさんは目を潤ませながら、「遅れた卒業式」という表現に対して「遅れていない」と言い、感謝を伝えた。「遅れただなんて、とんでもない。忘れずに覚えていてくれてありがとうございます」