今月18日に予定されている米大統領の別荘キャンプデービッドでの会談が行われれば、バイデン大統領が29日に言及したように、韓日関係は以前とは異なる「根本的変化」(fundamental change)を迎えるものとみられる。韓日関係が国交正常化以降初めて、北朝鮮を封鎖し中国を圧迫するために軍事的協力をする「準同盟」に格上げされるものとみられるからだ。この過程で、歴史問題の正義に基づいた解決を求める声は埋もれるものと懸念される。
35年間にわたる日本の植民地支配を経た韓国が、日本と国交正常化会談を始めたのは、朝鮮半島が戦火に包まれていた1951年10月だった。第2次世界大戦直後に起きた朝鮮戦争で、米国は北朝鮮・中国・ソ連が手を組んだ共産主義陣営と対峙することになった。米国は韓日関係を早く正常化させ、これに対抗しようとした。
だが、両国間の「歴史における問題」を払拭するのは容易ではなかった。韓日は1965年6月まで13年8カ月にも及ぶ長い交渉の末、関係正常化に合意した。両国は、植民地支配が合法だったのか不法だったのかという歴史を巡る根本的な問題は棚上げしたまま、日本が無償3億ドル、有償2億ドルという請求権資金を通じて韓国の経済発展を支援することで合意した。
しかし、日本の軍事的拡張に対する韓国の根強い不信と、軍隊の保有と交戦権を否定した日本の平和憲法によって、両国関係は根本的に「経済協力」の枠組みから抜け出せなかった。軍事協力は韓米相互防衛条約(1954)と日米安保条約(1952)を通じて、米国を媒介に行われた。米国にとって韓米日3カ国軍事協力は、半世紀以上かけて引き延ばされた課題だった。
1989年末に冷戦が終わり、変化が始まった。日本軍「慰安婦」などの被害者の声があふれ始めたのだ。日本は慰安婦問題に対する軍の関与と動員過程の強制性を認めた河野談話(1993)と、植民地支配と侵略に対する謝罪と反省を盛り込んだ村山談話(1995)を発表した。日本のこのような反省的な歴史認識の上で、韓日は互いを対等なパートナーとして認める1998年の「韓日パートナーシップ宣言」に合意することができた。その後、両国間の本格的な文化交流が始まり、日本では韓流ブームが起きた。
韓日間の「良い時代」は2010年代に入って急変した。北朝鮮核問題の深刻化、中国の浮上、安倍晋三元首相(1954~2022)の政権交代に象徴される日本の右傾化など、「不吉な変化」が続いた。安倍元首相は歴史・安保の両面で戦後日本の姿を変えた。2015年8月、安倍元首相は談話を通じて「子どもたちや孫たちに謝罪の宿命を負わせ続けてはならない」と宣言した。安保面では2015年4月、日米防衛協力のための指針の改正を通じて日米同盟を「グローバル同盟」に格上げした。岸田文雄首相は2022年12月、安保3文書を改正し、中国・北朝鮮に対する予防的先制攻撃を意味する「敵基地攻撃能力」を確保することにした。日本の平和憲法を支えていた専守防衛の原則は決定的に損なわれた。
2022年5月に政権に就いた尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領は、3月6日、日本企業が強制動員被害者に賠償しなければならないという2018年10月の最高裁判決を無力化する「譲歩案」を発表した。歴史問題の「後退」だった。その前に行われた三一節(独立運動記念日)の祝辞では、「深刻な北朝鮮の核の脅威など安保危機を克服するための韓米日3カ国協力がいつにも増して重要になった」と述べた。韓国の歴代政権が70年間ためらってきた3カ国同盟に進む第一歩を踏み出すことにしたのだ。
英紙「フィナンシャルタイムズ」は1日、米国が18日の首脳会談に向け、韓日が攻撃を受けた場合相互の協議を義務付ける「歴史的共同声明」を推進していると報じた。3カ国首脳間のホットライン開設も推進されるという。このまま結論が出るとしたら、この会談は韓国が歴史を忘却し、韓米日3カ国軍事協力の方向に決定的な舵を切った「変曲点」と記録されるものとみられる。