(1から続く)
2011年の福島、2023年の福島
歴史において繰り返されたのは怪談論争だけではない。国民の不安を怪談だと主張したが、後でそれが覆された事例もある。2011年の福島原発事故当時、放射能露出への懸念が高まったことを受け、李明博(イ・ミョンバク)政権は「偏西風のため、日本の放射性物質が朝鮮半島まで逆に飛んでくるのは科学的に不可能だ」と地政学的根拠を強調した。当時の与党「ハンナラ党」のキム・ムソン院内代表は、福島原発への対応を求める市民社会団体を「国民を扇動する不純な勢力」と批判した。しかし、まもなく雨水からヨウ素とセシウムが検出され、放射能の国内流入が確認された。すると政府は再び「極微量のヨウ素とセシウムは何の問題もない」という医学的根拠で対抗した。
当時、核工学者たちも「1ミリシーベルト未満なら問題ない」、「レントゲン撮影もするではないか」と先頭に立って国民の不安の解消に取り組んだ。正確な背景は分からない。ただし、「原発産業の将来は日本にかかっている。原発に対する市民の不安の度合いによって変わる可能性がある」(漢陽大学のキム・ギョンミン教授、「東亜日報」2011年3月19日付)という発言から、原発産業の活性化を考慮した戦略的選択だったことも考えられる。このような内容は、科学社会学者である東国大学ダルマカレッジのカン・ユンジェ副教授が当時政府と専門家グループを観察して書いた「原発事故とリスクコミュニケーション、専門性の政治」という論文に詳しく載っている。
カン教授はこう語る。「科学的論証と政治的怪談を分けるのは一種のフレームだとみています。今は専門性が価値判断で最も重要な基準だという、一種の『専門性政治』(専門家の知識が政治談論化する現象)が強いのですが、汚染水の放出問題はもはや科学だけでなく政治の領域、ひいては政治的責任問題として捉えなければなりません」
結局、国民の不信感を解消する方法は、安全性を豪語するのではなく、不確実性を減らす具体的な対策を講じることだ。漢陽大学原子力工学科のソン・ジンホ研究教授は、日本のリプロセス設備の浄化能力から綿密に検証しなければならないと指摘する。東京電力が最近掲示した資料を見ても、依然として浄化が不十分であることが確認されるのに、30~60年にわたる放出過程でALPSの性能がまともに維持されるかどうかについてモニタリングの必要性を強調する。また、日本政府が2011年に大量の汚染水を沖合に放出したことがあり、それに伴う海洋生態系への影響に関する研究も必要だ。
「海洋放出を認めるのが合理的だと韓国政府が判断するなら、こうした部分を日本に先に要求し、国民の安全を保つ権利を代弁すべきではないでしょうか」。ソン・ジンホ教授の発言だ。
安全性を「豪語」する時間に具体的な対策を講じるべき
水産物の需要急減への対策も必要だ。与党は「フェイクニュースの根絶」を代案に掲げているが、2011年にも経験したように、消費心理は世論戦だけでは蘇らない。福島原発事故が起きた後、韓国の大型スーパーの水産物需要は20%以上減少し、地域の刺身屋は閉店を余儀なくされた。水産物に関する消費心理は3年たった2014年初めに少しずつ回復した。最近、福島原発近くの港湾で捕れたクロソイから基準値の180倍に達するセシウムが検出され、大騒ぎになった。政府はこの時も「沿岸に定着して暮らす魚種なので、韓国の沖合までは来ない」という「生物学的根拠」で対抗した。
現在「基準値以内なら安全だ」と主張する韓国政府は、2019年に福島産水産物の輸入禁止をめぐる世界貿易機関(WTO)提訴の当時は「基準値と関係なく国民の健康を守る権利がある」という論理を前面に掲げた。研究者たちが示す放射線許容値があっても、国民がさらされる放射線の数値はそれよりも少なくあるべき権利があると強調したのだ。
「韓国が選んだ衛生保護の水準が正当かどうかを問う際、水産物自体の放射能数値に対する考慮だけでは足りない。年間放射線露出基準の1ミリシーベルトは上限に過ぎず、国民の生命と健康を保護するために放射線露出量を最小限にとどめようとする国家の努力は尊重されなければならない」。2019年の韓国政府が1ミリシーベルトという「科学的事実」に反論した論理だ。