果たしてワクチンは無用の長物なのだろうか。
そうではない。ワクチンの本質的な目標は個人の保護だからだ。オミクロン株は集団免疫の効果を突き崩しているが、ワクチンは依然として個人を守る丈夫なシートベルトだ。
新型コロナウイルス・パンデミックにおいて、ワクチンほど多くの希望と失望の両方を抱かせたものはないだろう。1年前の接種が始まる頃には「ゲームチェンジャー」と呼ばれるほど期待されていたものの、臨床試験で抱かせてくれた期待には、実戦では十分には届かなかった。さらにオミクロン株は、高いワクチン接種率が色あせるほど野火のように広がっている。この状況に加えて人間の利害得失までもが、ワクチンの価値に対する科学的解釈の焦点をぼやけさせている。
コインの裏表のように、ワクチンの効果にも2つの面がある。集団免疫効果と個人保護効果だ。前者は失敗し、後者は成功した。立っている位置によって結果は正反対となる。ワクチンの2つの面を分け、まず集団免疫の失敗の原因を検討し、次にオミクロン株に対する保護効果について語ろう。ここで扱うワクチンは基本接種を前提とする。
ワクチンはなぜ集団免疫の達成に失敗したのだろうか。1つ目の理由は、コロナ感染が始まる部位とワクチンの効果が現れる部位が異なるからで、2つ目の理由は接種戦略の限界だ。まずコロナ感染が始まる呼吸器の粘膜から話を始めてみよう。私たちは周りの環境に存在する微生物と常に接している。微生物との接触は肌のような外面を通じて起こる。大げさに位相学的に考えずとも、肌が外面だということは明らかだ。病原体は、天然のよろいである肌を突き破ることはできない。水がなければ生命活動も困難だからだ。では鼻から肺へとつながる呼吸器は外面なのだろうか。それとも内面なのだろうか。息をする時に空気が出入りする通路だということを考えれば、外部と接触する面だということが容易に理解できるだろう。ところが、この空気の通路は肌とは異なり湿っている。これは病原体にとっては非常に良い増殖環境だ。このため、呼吸器は病原体の活動を抑制するために粘膜で覆われている。粘膜はハエ取り紙のように病原体を捕獲し、常に外へと排出している。これが痰だ。そして特殊な免疫物質で病原体の侵入を防いでくれる。このように呼吸器は免疫の最前線であり、時と場所をわきまえない病原体の侵入を防ぐための特別な粘膜免疫を持っている。
粘膜免疫の最大の敵は、鼻や口へと休むことなく入ってくる細菌だ。幸いなことに、私たちの粘膜免疫は細菌を容易に感知し、処理する。免疫の始まりは自身と他者との区別だが、細菌の構成成分には私たちの細胞にはない特異な化合物が存在するのだ。
しかしウイルスは話が異なってくる。もちろん、全てのウイルスが呼吸器感染を起こすわけではない。コロナやインフルエンザのように、粘膜に対する親和力のあるウイルスのみが呼吸器感染を起こす。親和力とは言うものの、粘膜をかいくぐってその下の細胞に感染する能力があるという意味だ。いちど粘膜の下の呼吸器細胞に感染してしまうと、免疫がそれを処理することは困難だ。前のコラムで説明したように、ウイルスを作り出すのは私たちの細胞だからだ。ウイルスの構成成分は私たちの細胞と全く同じなので、免疫がそれを細胞と容易に区別しうる特徴はない。したがって、ウイルスのタンパク質の具体的な構造を認識する精巧な抗体が必要となる。
だが初めて接するウイルスのタンパク質を認識する抗体は存在せず、それが作られるには平均で2週間を要する。免疫は、抗体が作られている間に炎症を起こして感染の進行を抑制する。危険に陥った細胞が誘導する炎症は、周辺地域のすべての細胞に深刻な被害を与える。風邪を引くと表れるつらい諸症状は、まさに炎症の結果だ。このように極端な方法が用いられるのは、抗体が作られる間にウイルス感染を放置しておけば、対処できなくなるほどの状態へと徐々に陥っていくからだ。この時、ウイルスを含んだ飛沫が大量に作られる。周りの人々を活発に感染させる時期だ。ワクチンは、まさにこの危険な時期を減らしてくれるのだ。抗体が予め用意されているため、感染を直ちに処理できるからだ。感染性の飛沫の生成も最小化され、周囲への感染を抑制する。集団免疫の効果が発揮されるのだ。(2に続く)