日帝強占期に日本の労役現場に強制動員された勤労挺身隊被害者のアン・ヒスさんが、21日に死去した。享年93。
アンさんは慶尚南道馬山(マサン、現昌原市)で生まれ、小学校6年生だった1944年に日本に強制動員され、富山県にある不二越の軍需工場に配属された。アンさんは生前「その時、日本人教師から『日本に行けば上級学校に通えるし、お金も稼げる』と言われて日本に渡ったが、砲弾の外皮などの兵器の部品を作る仕事をしなければならなかった。上級学校への進学どころか、給与すらただの一銭も受け取れなかった」と証言した。アンさんのように不二越に連行され、強制労働に動員された韓国人は女性1090人、男性540人の1600人以上にのぼる。
アンさんら被害者は2003年、日本の現地裁判所に不二越を相手取って損害賠償請求訴訟を起こしたが、2011年に敗訴が確定。2013年にソウル中央地裁に不二越を相手取って再び訴訟を起こし、一審と二審で相次いで勝訴した。しかし、アンさんは最高裁の判決を聞くことなく、ついにこの世を去った。提訴の際、原告は被害当事者が13人、遺族が4人の計17人だったが、アンさんを含めて5人が裁判中に死去したため、被害当事者は現在8人しか残っていない。しかし、死去した被害当事者の遺族は訴訟を続ける覚悟だ。日本など国外に強制動員された女性の勤労挺身隊被害者はほとんどが死去しており、生存者は昨年現在で131人に過ぎない。
葬儀は慶尚南道昌原市(チャンウォンシ)の療養病院斎場特1号室にて。出棺は23日朝7時30分。