国民の力の内部対立が解けた。支持率が下がり危機感を抱いたユン・ソクヨル候補が、キム・ジョンイン前委員長とイ・ジュンソク代表に白旗をあげて投降したのだ。
これで終わったのだろうか。ユン・ソクヨル候補の言うように、政権交代だけが残されたのだろうか。政治がこれほどたやすいものなら、どんなにいいだろうか。
最近の国民の力の対立には2つの背景がある。
1つ目は権力闘争だ。
将来の権力をめぐる分け前争いだ。本来、権力のある所には闘争がある。権力は親と子でも分けることはできない。
今回の大統領選挙は当選後の大統領の権力だけでなく、来年6月1日の地方選挙の公認権もかかっている。パイが大きければ争いも大きい。
2つ目は路線闘争だ。
1990年の3党合同は、既得権保守と改革保守の結合だった。盧泰愚(ノ・テウ)の民正党は既得権保守であり、金泳三(キム・ヨンサム)の統一民主党は改革保守だった。両勢力は保守の主導権をめぐって絶えず争っている。李明博(イ・ミョンバク)と朴槿恵(パク・クネ)の両候補が争い、朴槿恵大統領とユ・スンミン院内代表が争った。バージョンが異なるだけで、本質は同じだ。
既得権保守は、自由主義と市場主義を大義名分として分断勢力、大企業、官僚の利益を代弁する。改革保守は保守の持続可能性に苦悩する。ユ・スンミン院内代表の「重負担重福祉」が改革保守の代表的なスローガンだ。
今回の大統領選挙を前にして、またしても対峙戦線は形成された。
ユン・ソクヨル候補とその周辺のクォン・ソンドン、チャン・ジェウォン両議員などが既得権保守の前衛だ。反文在寅(ムン・ジェイン)連合、反民主党連合の構築による政権交代万能論が彼らの大統領選の戦略だ。
キム・ジョンイン委員長とイ・ジュンソク代表は改革保守の路線を象徴する人物だ。20~30代と手を握る世代同盟によって保守の未来を切り開いて行くべきだというのが彼らの大統領選の戦略だ。
デジャヴという言葉がある。初めて経験することなのに、過去に経験したことがあるかのように感じられる現象だ。既視感などと訳される。
2012年の大統領選挙を前に、朴槿恵候補と政策公約全般を取り仕切るキム・ジョンイン幸福推進委員長が対立した。経済民主化をめぐってだった。
当初の公約は、財閥の従来の循環出資をも解消するというものだった。それを朴槿恵候補が「既存の出資は認め、新規出資のみを禁止する」として覆した。キム・ジョンイン委員長は「朴槿恵候補はどこかでロビー活動を受けたようだ」と述べた。
同年11月11日、朴槿恵候補はキム・ジョンイン委員長を呼び出した。朴候補は党と選対委の9人の幹部を連れて現れ、キム・ジョンイン委員長を大声で非難した。2人はこうして決別した。
朴槿恵候補は大統領に当選すると、経済民主化の代わりに「創造経済」を掲げた。キム・ジョンイン委員長は後日、「一時、私は欲張り過ぎたようだ。国民に大変申し訳なく思っている」と謝罪した。
だからこそだ。国民の力の対立はいつでも再燃するだろう。言葉どおり「縫合」されたに過ぎないからだ。権力闘争と路線闘争こそ本質だからだ。
理解しがたいのはキム・ジョンイン委員長の振る舞いだ。彼は朴槿恵大統領を前面に押し立てて経済民主化を貫徹しようとして失敗した。今度はユン・ソクヨルを大統領にしようとしている。いったい何をするつもりなのだろう。
ユン・ソクヨル候補を大統領に当選させた後、任期途中で分権型大統領制に改憲する考えなのかも知れない。思い通りに行くだろうか。ユン・ソクヨル候補はキム・ジョンイン委員長の操り人形にはならないだろう。いつまで共に歩めるのだろうか。イ・ジュンソク代表の表現を拝借しよう。「武運を祈る」