「朝鮮半島出身者等の強制労働の被害を知らせず、犠牲者の追悼措置も不十分であることに強い遺憾を表する」
ユネスコ世界遺産委員会(WHC)が22日、日本の長崎県端島(軍艦島)などでの朝鮮人、中国人、連合軍捕虜等の強制動員の真実を隠した日本政府の態度を批判する決議をあげた。通常は政治的判断を行わないユネスコが「強い遺憾」という表現まで使って批判したのは、日本政府の態度が度を越しているからだ。
昨年3月に東京都新宿区の総務省第2庁舎別館に開館した産業遺産情報センターは、かつての軍艦島の住民の言葉を借りて「軍艦島で(朝鮮人が)いじめられたという話は全く聞いていない」「周りの人は親切だった」といった歪曲したニュースを広報している。そもそも日本政府は2015年7月に開かれた世界遺産委員会第39回会議で、軍艦島を含む明治産業革命遺産23カ所を世界文化遺産に登録する条件として、同センターを通じて軍艦島などで強制動員があったという事実を含む「歴史の全体像」を周知させると約束した。しかしその後、5年の時間を経てオープンした同センターは、むしろ強制動員の歴史を歪曲する前哨基地となっている。委員会は世界遺産に登録する際に当該国が約束した履行条件を2年ごとに点検するが、調査団を派遣した後、日本政府が「歴史の全体像が理解できるような説明戦略」を取るように促した勧告をこれまで履行していないという報告書を、12日にホームページに公開した。
日本政府はなぜ軍艦島の真実を恐れるのか。第2次世界大戦時の強制動員被害者を支援する日本の市民団体「長崎の中国人強制連行裁判を支援する会」事務局長の新海智広さんは、「日本政府が約束を履行しない根本的な原因は、過去の『不法な』植民地支配やアジア諸国への侵略を認めることができないため」だと述べた。
新海さんは20日と22日、ハンギョレと行った非対面のオンラインおよび書面でのインタビューで「日本政府は『徴用の特性上、対象者が本人の意思に反して連れてこられた可能性もあるが、戦時徴用は合法的手段であり、(法的)問題はない』という論理を展開している。こうした背景には、日本が朝鮮半島を併合したのは合法であり、そこで行われた『法に基づく』すべてのことは合法、とする認識がある」と説明した。新海さんは日本の平和運動家であり、韓国や中国を行き来しながら第2次世界大戦強制動員被害者を支援してきた。民族問題研究所など韓国の平和団体とも緊密な交流を続けている。
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植民地支配を具現化した二つの顔の軍艦島
-軍艦島はどのような島だったのか。
「日本の近代化における軍艦島(端島)の位置づけは、一つでなくいくつもあり得る。まず日本政府としては、経済や産業という視点から、短期間で近代化(産業化)を成し遂げた、その原動力となった高品質の石炭を産出した島という発想がある。これをもとに、製鉄業などが盛んとなり、産業化・軍事化を推進したことは事実だ。一方、軍艦島は非人間的な労働を強いた島であったという位置づけもできる。特に、第2次大戦当時、朝鮮半島より人々を強制動員し、過酷な労働に就かせ、1944年には敵国である中国からも中国人を拉致して強制労働をさせた。侵略戦争と植民地支配を背景とした『大日本帝国の支配を具現化』した島、という位置づけもできる」
-日本政府が軍艦島に執着する理由は何か。
「もともと軍艦島を『世界遺産に』という運動は、日本政府が『明治日本の産業革命遺産』の構想を持つより前からあった。そもそも日本政府は(軍艦島の世界遺産登録推進に関して)そこまで大きな議論が巻き起こるとは考えていなかったのではないかと思う。軍艦島が日本の産業化の象徴のような財閥企業である三菱の島であり、高島も含め、三菱造船などとセットで『産業革命に貢献した』としたかったのだろう。また、『軍艦島』の存在はビジュアル的にとても魅力的な部分がある。海上に浮かび上がる(日本初の鉄筋コンクリートマンションや4~10階建て高層ビル10棟余りが建てられた)圧倒的な存在感を持った軍艦島は観光誘致の立場からはぜひ加えたかったのだと思う。しかし実は軍艦島で世界遺産に登録されているのは坑口の一部と護岸だけだ」
-軍艦島には朝鮮半島出身の被害者が特に多かった。
「逆説的に、日本政府が(世界文化遺産の強制動員の地域をめぐる議論が起こるたびに)ことさら軍艦島を取り上げる一つの理由に、軍艦島では連合軍捕虜が働かされていないというのがあると思う。日本政府が一番恐れているのは、米国や英国など欧米諸国からこの問題にクレームがつけられることで、連合軍捕虜の強制労働が問題となる労働現場が焦点化するのは避けたいと考えたのだろう。軍艦島であれば(主に朝鮮半島出身者の強制労働が行われたため)『日本-韓国の対立』という構図にまとめやすいということだろう」
-国際社会を相手に政府レベルの約束も守らないという態度は納得しがたい。
「日本政府の主張としては、朝鮮半島からの強制動員は1939年から始まっているが、初期のいわゆる『募集』や『官斡旋』によるものは(労働者)本人の自由意志による日本への渡航であり、『強制動員』ではないとしている。さらに、1944年9月以降の『徴用』については、当時は日本人も徴兵や徴用の令状がくれば意思に反してでも従った、朝鮮半島出身者も当時は『日本人』であったのだから、意思に反する『徴用』があったとしてもやむを得ない、としている。もちろんこれは完全な誤りだ」
軍艦島の強制徴用被害者である故・崔璋燮(チェ・ジャンソプ)さんは「強制徴用当時、いきなり犬を叩くように殴られ、強制的に(私を)引っ張っていった」とし「(軍艦島から)逃走して捕まればゴムチューブで皮がむけるほど殴られ拷問を受けた」と証言した。これこそ徴用者がここを「地獄島」と呼んだ理由だ。
-産業遺産情報センターで強制動員の真実はどのように隠蔽されたのか。
「朝鮮半島出身者が労働者だったという事実は認めるが、強制労働や差別はなかったというふうに歪曲している。例えば、展示内容にある『鈴木文雄さん』は両親が朝鮮半島出身で幼い頃現地で暮らしていたが、その証言は『朝鮮人ということでいじめられたことはない、逆に可愛がられた』というもの。鈴木さんの父親は端島炭鉱で働く労働者であったことは事実だが、1920年代、あるいは1930年代のはじめ頃「自由渡航」の時期に来た人で、問題となっている「強制動員」期の労働者ではない。つまり鈴木さんの父親のケースから強制動員された人々の状況を推測することはできず、ましてや鈴木さん本人は端島を離れた1942年頃はまだ8歳か9歳と幼く、労働現場に行ったり見たりしたわけでもない。
また、明治日本の産業革命遺産における強制動員の問題を考える場合、朝鮮半島出身者の存在だけでなく、中国人や連合軍捕虜(オランダ人、英国人、オーストラリア人など)の存在を意識しなければならない。軍艦島と高島には中国人が、三菱長崎造船所には連合軍捕虜が、朝鮮半島出身者と共に働かされていた。産業遺産情報センターでは中国人・連合軍捕虜の存在については完全に沈黙している」
-どのように正すべきか。
「(強制動員で深刻な被害を受けた)徐正雨さんなど、端島で働かされた人の具体的な証言はすでに書籍の形で残されている。端島炭鉱で亡くなった労働者の人数や名前は、ある程度推測できる。例えば軍艦島へ1944年に連行された中国人は204人だが、全員の名前や出身地がわかる。戦後に作成された三菱の「事業場報告書」には、死亡者や公傷病者の記録がある。朝鮮半島出身者も、「火葬埋葬認許証」などで名前や出身地、死亡時の状況などがわかる。はるばる故郷を離れた異国の地で無念の死を遂げた犠牲者を記憶に留めるための展示は十分可能だ」
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生きた歴史のために必要なのは「真実」
日本政府はユネスコと国際社会の度重なる圧力にもかかわらず、強制動員問題に対する居直りの態度を変える気配を見せていない。2015年7月の世界遺産委員会での産業革命遺産審議の際、「1940年代に朝鮮半島出身者等が「自分の意思に反して」(against their will)動員され「強制的に労働」(forced to work)させられたことがあった」と認めたにもかかわらず、その後、やむなき合法行為という形で言い繕っている。
-今回の世界遺産委員会の決議にはどのような意味があるのか。
「歴史の全体像が示されていないこと、強制労働が理解できるような展示でないこと、犠牲者を記憶する展示がないことなどを指摘した。ユネスコの精神に従った、公正で極めてまっとうなものであると考えている。”出されるべくして出された勧告”だと思い、私もこの勧告を支持する」
-どのような方向で決着をつけるべきか。
「日本における歴史の歪曲・否定の動きは本当に憂慮している。第2次大戦の敗戦後の70数年の中で、過去の戦争、侵略行為、植民地支配などに関して正しい歴史認識を確立できずに来た結果だ。長期的には教育により、過去の歴史的事実を伝え、過去から学ぶ姿勢を培うことが重要だ。そのためには文部科学省を含む日本政府が根本的に歴史認識を改める必要がある」
日本政府の居直りの態度に対して、各国政府だけでなく、目覚めている市民団体も活動の強度を高めている。韓国では民族問題研究所と日帝強制動員被害者支援財団などが今月16日から約4カ月間、ソウル龍山区(ヨンサング)の植民地歴史博物館(historymuseum.or.kr)で「被害者の声を記憶せよ、強制動員の歴史を展示せよ」という企画展を行っている。日本政府の歴史歪曲問題に対する韓日市民連帯オンライン共同行動も本格化するなど、より強く肩を並べている。新海さんは「犠牲者・被害者の『声なき声』に耳を傾けることで、歴史は血の通った、生きたものとなると思う」と語った。