「これまで日本軍『慰安婦』運動は、同じ色を持つグループが、それぞれ別々に動いていました。様々な考えを持つ人々が本日のように一堂に会したのは初めてだと思います」
1991年8月14日の金学順さんによる初の公開証言から30年目を迎える慰安婦運動を成功裡に締めくくるには、どのようにすべきなのだろうか。この重いテーマを論議するため、26日午後2時半、ソウル平倉洞(ピョンチャンドン)の「対話の家」にこの問題の解決に努めてきた社会の重鎮、活動家、学者、ジャーナリストが集った。メンバーはイ・ホング元首相、東アジア平和会議のイ・ブヨン運営委員長、対話文化アカデミーのイ・サミョル理事長、チェ・サンヨン元駐日大使、イ・ジョンオク元女性部長官、ソウル大学日本研究所のキム・ヒョンチョル所長、正義記憶連帯のイ・ナヨン理事長、慶北大学のキム・チャンノク教授ら、およそ20人。彼らは「日本軍慰安婦問題、いかに解決するか―社会的対話のために」というテーマの下、対面とオンラインの併用で行われた同日の会議で、これまで心に秘めていた本音を打ち明けた。この会合の準備実務を担当したソウル大学日本研究所のナム・ギジョン教授は「慰安婦被害者たちが起こした訴訟では韓国裁判所の食い違った判決が出ており、一方では被害者たちの自然寿命が近づいている。こうした状況において、この問題をどうするかについて様々な立場の人々が忌憚なく意見を交わすために、この場を設けた」と述べた。司会を務めた聖公会大学のヤン・ギホ教授もこの日の会合の目的を「お互いの意見を傾聴すること」と定義した。
韓国社会の重鎮や主だった人物が一堂に会したのは、東京大学の和田春樹名誉教授ら、日本社会の7人の重鎮が3月24日に「慰安婦問題の解決に向けて―私たちはこう考える」と題する声明を発表し、自分たちの考える事実上「最後の解決策」を提案したからだ。日本の重鎮たちは韓日両国政府に対し、2015年の12・28合意の意味を再確認し、この合意の精神をさらに高めるために努力することを求めた。菅義偉首相に対しては、1993年の河野談話と1995年の村山談話を継承するという日本政府の立場にもとづき、12・28合意に用いられた「日本政府の責任を痛感する」との表現を改めて文書としてまとめ、その旨を相星孝一駐韓日本大使を通じて生存する被害者に伝えるよう勧告した。韓国政府に対しては、日本が和解・癒し財団に出資した10億円のうち、残る5億4000万円に韓国政府の予算を加えて「慰安婦問題研究所」を作ることを日本政府と協議するよう要請した。この日集ったある重鎮は「日本の重鎮たちの最後の叫びに、韓国社会は誠実に答えなければならない」と話した。
この日集ったメンバーたちは、歴史研究と教育の重要性を強調した1993年の河野談話の精神を蘇らせ、韓日両国政府が新たな解決策を講じるべきとの原則には合意した。しかし、日本の重鎮たちの勧告とは異なり、12・28合意を尊重すべきかどうかについては意見が鋭く対立した。現実主義的な立場に立つメンバーたちは「生存する女性たちが生きている間に何ができるのか、現実的な解決策を探るべき」「なすべきことではなく、現実的な実践方策を探るべき」と述べた。原則論を主張してきた側は「12・28合意はすでに汚染されすぎており、とても再活用することなどできない」「日本とまた中途半端に妥協するより、イ・ヨンスさんらが主張する国際司法裁判所(ICJ)への付託を考えるべきだ」と述べた。
慰安婦運動30周年を迎える今年7~8月をうまく活用しようという意見もあった。ナム・ギジョン教授は「正義記憶連帯の1500回目の水曜集会が開かれる7月15日から、金学順さんの初証言30周年になる8月14日までの1カ月が、慰安婦問題の30年を締めくくり、被害生存者以降の時代を準備する最後のチャンスになるだろう」と述べた。大韓弁護士協会・日帝被害者人権特別委員会のチェ・ボンテ委員長は「河野談話が発表された8月4日から8月14日までを、日韓の和解週間とするのはどうか」と提案した。
会合の終了後、論議の内容をまとめた重鎮たちは「我々の努力がすぐに政策化されることはないとしても、韓国社会の心からの努力は日本社会に伝えられると思う」「立場が異なる人々が集まったということ自体に大きな意味がある。互いに傾聴し合い、共感を広げていけるよう、この集まりをより一層支持してくれることを願う」と述べた。会合を準備した対話文化アカデミーとソウル大学日本研究所は、この会合をなるべく定例化して慰安婦問題の解決策についての社会のコンセンサスが形成されるよう努めることにしている。