延世大学の学生、チョン・ソンヒ。1年生だった1981年11月、学内デモに参加して警察に連行され、3日後に強制的に軍に連行された。部隊生活中にもチョン・ソンヒは、保安部隊の絶え間ない監視と調査を受け、思想改造と学園フラクション活動を強要された。
強制徴集8カ月後の1982年7月、チョン・ソンヒは前方鉄柵哨所での夜間勤務中に冷たい遺体となって発見された。軍当局は、生まれながらの敬虔な信仰者であったチョン・ソンヒの死を自殺として早々に火葬し、遺骨すらも家族に渡さずに火葬場にまいてしまった。
それから38年、長いあいだほんの小さな墓もなしにさまよっていたチョン・ソンヒの魂が、今月14日に京畿道利川(イチョン)の民主化運動記念公園に葬られた。遺骨がまかれた火葬場の一握りの土と、いくつかの遺品が墓に埋葬された。44歳で亡くした息子を、80を過ぎてようやく送るチョン・ナクホンさん(82)が息子の墓に土をかぶせている。
国防部過去事真相究明委員会によると、1980年9月の全斗煥(チョン・ドゥファン)軍事政権の発足とともに強制徴集が始まった。1984年11月までに1152人の学生運動参加者が軍へと連行された。片目が見えなかったり、小児麻痺障害のあった学生も捕らえて行った。また当時、保安司令部は個々人を組織的に管理し、緑化事業(1981~83年、学生運動参加者を軍強制徴集し思想改造を行ったこと)を強行した。強制徴集者921人と一般入隊者、民間人など1192人に暴行と拷問を加え、活動供述書と反省文を書かせる思想改造作業を行った。特別休暇を与え、同学年や先輩後輩の動向を把握して報告させる学園フラクション活動も強要した。4年2カ月にわたって続いた独裁政権の国家暴力により、チョン・ソンヒ、高麗大学のキム・ドゥファン、成均館大学のイ・ユンソン、東国大学のチェ・オンスン、漢陽大学のハン・ヨンヒョン、ソウル大学のハン・ヒチョルの6人の若者が命を奪われた。