チュ・ミエ法務部長官がユン・ソクヨル検察総長に対するライム資産運用事件とユン総長の家族関連事件に対して捜査指揮権を発動したのは、法務部長官の指揮・監督を規定した検察庁法8条による合法的措置だ。
「法務部長官は検察事務の最高監督者として一般的に検察官を指揮・監督し、具体的な事件については検察総長のみを指揮・監督する」
この条項は、1949年の検察庁法制定当時からあった。政務職公務員である法務部長官が捜査・裁判など検察官の業務に直接関与できないようにすることで、検察官の政治的中立を確保する安全装置だ。
法務部長官の捜査指揮権発動は、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権時代の2005年、チョン・ジョンベ法務部長官がキム・ジョンビン検察総長に対して、カン・ジョング教授不拘束捜査を指示したのが初めてだった。その前は、法務部長官が捜査指揮権を発動したことがなかった。いや、正確に言えば、わざわざ捜査指揮権を発動する必要がなかった。それは二つの理由による。
まず、大統領と大統領府が検察官の捜査・裁判に介入するのが日常だった。検察総長は大統領の腹心だった。次に、法務部長官が検察総長をはじめ検察官に具体的な事件処理を指揮・監督することも日常的に行われていた。法務部長官は大多数が検察官出身だった。
盧武鉉政権で二つの慣行が一度に崩れた。盧武鉉大統領は検察を掌握せず、政権から独立させようとした。正しい方向だが、純粋すぎる考えだった。統制されない官僚集団が怪物に変わるのは必然のこと。検察は政治的中立ではなく、検察自身を権力化する道を選んだ。
2005年にチョン・ジョンベ法務部長官が使える手段は捜査指揮権しかなかった。キム・ジョンビン検察総長は辞任したが、検察官たちは刀を研いでいた。盧武鉉大統領の退任後に行われた捜査は、検察の報復の側面が強い。
15年がたち、似たような場面が展開されている。盧武鉉政権の時と同様、文在寅(ムン・ジェイン)政権も純粋だったがために起こったことだ。
文在寅大統領は二つ過ちを犯した。一つ目に、政権就任初期に積弊清算作業を検察に任せたことだ。二つ目に、検察主義者のユン・ソクヨル検察官を検察総長に任命したことだ。
文在寅大統領が昨年「チョ・グク事態」で退いたチョ・グク法務部長官の後任として与党代表出身のチュ長官を任命したのは、ユン総長の人事を誤ったことを事実上認めたものだ。しかし、任期2年の検察総長を辞めさせるわけにはいかない。
チュ長官とユン総長の衝突は、2人の性格や気質の違いのために起こったㅈわけではない。検察改革を果たして国政の成果を積もうとする政治権力と、“全能の力”を奪われまいとする検察権力の対立が、今回の事件の本質だ。チュ長官とユン総長のどちらかが辞任しても、後任者らによる争いは続くことになるだろう。大統領が変わり、ひいては野党が政権を執ったとしても同じでありうる。
国民はこのうんざりする争いをいつまで見守らなければならないのだろうか。検察が持つ絶対権力を分散させ、後戻りすることができないようにすれば、検察改革はひとまず成功といえる。その時まで政治権力と検察権力の争いは続くだろう。
チュ長官の捜査指揮は合法だとはいえ、政治的に正当ではない。大統領府が20日、チュ長官の捜査指揮権行使について「避けられないこと」として後押ししたが、実際に与党内部では困惑している様子だ。ユン総長の家族関連事件に対する捜査指揮まで発動させたのは、チュ・ミエ長官がやりすぎたという評価が多い。