約40年前、酒に酔って「金日成(キム・イルソン)万歳」を叫んだという理由で裁判にかけられたある男性が、当時捜査機関に幼い娘が送った手紙のおかげで再審を受けることになった。「お父さんに会えなくなって20日になる」などの訴えが、捜査機関の違法拘禁の情況を立証する証拠として受け入れられたからだ。
18日のハンギョレの取材を総合すると、今年6月に大邱(テグ)地裁慶州(キョンジュ)支院は、反共法(朴正煕政権で共産主義活動を処罰するために制定された法律)違反の疑いで起訴された故・Lさんの遺族らが故人に代わって起こした再審請求で、「この事件は、捜査に関与した警察官らがその職務に関する罪を犯したことが認められる」とし、再審開始の事由を認めた。Lさんは1979年8月、村の住民らの前で「私は大統領とも親しく、金日成とも親しい。金日成を支持したらどうだ」と言い「金日成万歳」と3回叫んだ疑い(反共法違反の疑い)で拘束された。当時、被告は酒に酔っていたため、状況はよく覚えていないとし、捜査官らに対し「恨みを抱いた誰かが虚偽の通報をした」と抗弁したが受け入れられなかった。裁判所はLさんの有罪を認め、懲役1年に執行猶予3年、資格停止1年を言い渡した。教師だったLさんはこのことでやむなく職を失った。
執行猶予で釈放されたLさんはのちに妻に「警察から電気拷問などを受け、仕方なく自白した」と打ち明けた。しかし、再審請求の手続きをよく知らなかったLさんは無念を晴らすことができないまま2005年に死亡した。
当事者が死亡した後、再審開始の道を開いたのは、41年前にLさんの娘と妻が捜査機関に送った嘆願書だ。当時10歳だったLさんの娘は、父親が検挙された8月3日の3週間後の8月26日、「検事さんへ」というタイトルで手紙を送った。手紙には「私の願いはお父さんが出てくることです。私はお父さんの顔がわかりません。もう20日以上もたっているはずだからです」と書かれていた。Lさんの妻も「(夫が検挙されてから)1カ月近くになり、家長がどれだけ重要なのかを知りました」と書いて善処を求めた。
再審請求を担当した「民主社会のための弁護士会」の公益人権弁論センターの弁護人らは、これを違法拘禁の根拠として提示した。刑事訴訟法上、緊急拘束後48時間または72時間内に拘束令状が発行されなければならないが、Lさんの令状は検挙されてから7日が過ぎた8月10日になってやっと発行された。再審請求事件の裁判部はこれをめぐり「妻の嘆願書と娘の手紙を見ても、Lさんが検挙されてから釈放された情況はうかがえず、(令状発行時まで)拘禁状態が維持されたものとみられる」とし、違法拘禁の状況を指摘した。さらに「ここに関与した警察官らの行為は違法逮捕・違法監禁罪に当たる」と明らかにした。
Lさんの家族を代理するソ・チェワン弁護士は「今年9月に開かれた再審の初裁判で、『Lさんが金日成万歳を唱えたという事実がなく、違法拘禁と拷問で収集した証拠は違法に収集した証拠であるため証拠能力がない』と主張した。家族が41年前に切迫した気持ちで提出した嘆願書で始まった再審を通じて被害者の無罪を立証する」と明らかにした。再審を受けることになったLさんの娘も「(父は)時代の犠牲になったと考え恨めしく受け入れて生きた。歳月が経って国家暴力の犠牲になった個人も声を出せるようになったと思う」と語った。