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[インタビュー]「南側企業の心を込めた災害義援金、必ず開城に届けたい」

登録:2020-09-24 06:37 修正:2020-10-04 12:05
チョン・ギソプ開城工団企業非常対策委員会代表共同委員長
チョン・ギソプ開城工団企業非常対策委員会代表共同委員長は、21日のインタビューで、行き詰まっている南北の現実について語りながら終始鬱憤をこらえていた=イ・ジェフン先任記者//ハンギョレ新聞社

 「開城(ケソン)工業団地の北側労働者とその家族たちが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)と水害による困難を乗り越えるのに少しでも力になりたいと思い、15億ウォン(約1億3500万円)を集めたが、送る方法が…」

 開城工団企業非常対策委員会(以下対策委)のチョン・ギソプ代表共同委員長は、複雑で残念な表情を隠せなかった。ガラス窓から明るい光が降り注ぎ、明るく輝いていた21日午後、ソウル世宗文化会館裏のカフェの空気が一瞬にして重くなった。

 対策委は8月12日、開城工団の北側労働者とその家族を支援するため、募金を始めた。2016年2月10日、朴槿恵(パク・クネ)政権の全面稼働中止と一方的な撤退指示、翌日行われた北側の閉鎖処置などで、開城工団から追い出されてから4年7カ月になり、かつて開城工団に参加していた南側企業関係者の状況も非常に厳しい。にもかかわらず、COVID-19と水害の「二重苦」に直面した開城工団の北側労働者の事情から目を背けるわけにはいかなかったからだ。

COVID-19と水害の「二重苦」に苦しむ 
北側労働者たちを助けたい 
先月から約1カ月で1億円以上集め 
60社以上の企業・関連機関が参加…現物も 
「北側が受け入れることを首を長くして待っている」 
工団閉鎖から4年7カ月「希望という名の拷問」 
「ろうそく政権、交流の突破口として決断を下すべき」
 

 開城市は7月24日から8月13日まで都市が全面封鎖された。ある脱北者が江華島(カンファド)から泳いで開城に越北した事実が明らかになったことを受け、金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長がCOVID-19の流入を遮断するとして、国家防疫段階を「最大非常体制」に引き上げ、開城市の閉鎖を指示したためだ。さらに、長梅雨による集中豪雨と相次ぐ台風で水害まで被った。対策委関係者らが開城の人々を助けたいと支援に乗り出したのはそのためだ。

 チョン委員長は「同病相哀れむ心情」だと語った。対策委の役員らは8月21日、イ・イニョン統一部長官と面会し、「募金が終わり次第、北側に寄付できるよう政府が支援してほしい」と要請した。しかし、南北関係が事実上断絶した状況であり、韓国政府もこれといった方法がないのは同じだ。「我々の真心こめたこの小さな贈り物を北側に届けたいが、方法が見つかりません」。彼はもう一度ため息をついた。

 今回の募金には、苦しい状況にもかかわらず、対策委所属企業のうち60社が協力した。現代峨山やウリ銀行など開城工団の運営に関与した関係機関も支援した。こうして15億ウォンが集まった。 現物を送ってきた企業もある。そのようにして、COVID-19の感染拡大防止に欠かせないマスク数十万枚が集まった。現物の現金換算方法は製造原価基準なので、販売価格を基準にすれば、募金額の規模がさらに大きくなる。「北側が受け取ると約束すれば、集まった現金も小麦粉や砂糖のような長期保存できる生活必需品とCOVID-19防疫物品を中心に購入し、送るつもりです」。彼はすでに“計画”がある。「大量の現金」を北側に送るのが技術的に不可能に近い現実を考慮したのだ。

 「情勢は厳しいですが、北側の方々が私たちの思いを受け止めてくれることを願っています。こうして信頼を築き、行き詰まっている南北対話の道も開かれ、開城工団が再開されれば本当にありがたいです」。曇っていたチョン委員長の顔に、一筋の光が差し込んだ。

 開城工団が閉鎖されるまで活発に稼働していた参加企業123社は、その後4年7カ月にわたり崖っぷちに立たされたうえ、崖から転落し、今なお墜落し続けている。5社は公式に法人を清算した。23社は事実上の廃業に追い込まれているのに、法人清算すらできずにいる。法人を清算する前に負債を返済しなければならないが、その資金がないからだ。生きているわけでも死んでいるわけでもない“ゾンビの時間”がだらだらと続いている。

 文在寅(ムン・ジェイン)大統領と金正恩委員長は2018年の「9月平壌共同宣言」で、「条件が整い次第、開城工団と金剛山(クムガンサン)観光事業を優先的に正常化」することで合意した。そして金委員長は2019年1月1日の新年の辞で「いかなる前提条件や見返りもなく、開城工業地区と金剛山観光を再開する用意がある」と述べた。開城工団の人々の期待が限りなくふくらんだ。しかし、閉ざされた扉は結局開かなかった。「2017年5月にろうそく(集会)の力で文在寅政権が発足した際、『もうすぐ工団の扉が開くだろう』と期待が大きかった。ところが、まだこのような状態です。文在寅政権に対する失望があまりにも大きい」

 チョン委員長はこれまでの4年7カ月間について、「あまりにも長く、あまりにも残忍な“希望という拷問”の時間だった」と述べた。「文政権は米国の言いなりになって、どうやって南北関係を改善できるでしょうか。 決断を下さなければなりません。韓国人ならこのような現実を知って憤慨すべきです」。一瞬顔が赤くなり、声が高まったかと思うと、彼は怒りを抑えようとするかのように息を整えた.

 開城工団が閉鎖された後、大田(テジョン)にあった工場まで廃業したチョン委員長は、最近マスク工場を新たに稼動した。一日30万枚を生産し、約60人の従業員がいる。開城工団で1000人以上の北側労働者たちを抱えていた時に比べると、隔世の感がある。

 「まだ開城工団の扉が開く日を待ちながら、会社に残っている主軸の社員4人がいます」。チョン委員長が苦悩の末、1981年創業の「SNG」の代表取締役と衣類メーカー40年の経歴を捨て、マスク生産という分野に飛び込んだのも、「主軸の社員4人とその家族の生計に責任を負って開城工団が再開されるまで持ちこたえる最小限の生活基盤を維持するため」だ。涙なしには見られない必死の生存戦略だ。

イ・ジェフン先任記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/963407.html韓国語原文入力:2020-09-2402:07
訳H.J

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