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「光州5・18抗争の怒りを引き起こしたのは、太極旗で覆われた2人の遺体だった」

登録:2020-09-22 08:02 修正:2020-09-22 11:29
『彼らの5・18』の著者ノ・ヨンギ教授 
談話会で本の執筆動機を説明 
「明らかにされていない発砲命令権者 
軍の資料は大半が捏造され、分析に時間がかかる」
ノ・ヨンギ朝鮮大学教授が今月18日、全南大学校5・18研究所で開かれた「5・18集談会」に出席し、「なぜ軍は国民に銃を撃ったのか」をテーマに話している=キム・ヨンヒ記者//ハンギョレ新聞社

 「韓国現代史においては、死の意味が思いがけない波紋を引き起こす場合があります。1980年5月21日未明、太極旗で覆われ、旧全羅南道庁に運ばれた2人の遺体もそうでした」

 今月21日、朝鮮大学のノ・ヨンギ教授(53)は「済州4・3事件(学生の犠牲者たち)や4・19革命(キム・ジュヨル)、6月抗争(パク・ジョンチョル)を見ると、いずれも死に対する抵抗だった。5・18光州民主化運動も同じだ。5月20日、光州駅前で起きた戒厳軍の最初の集団発砲の際に犠牲になった人々が光州市民の怒りを引き起こし、旧全南道庁に10万人が集まった」と語った。

 2005年から2007年まで国防部の過去事真相究明委員会の調査官として活動したノ教授は、当時目にした膨大な軍記録などをもとに、今年5月『彼らの5・18:政治軍人たちはいかに動いたか』(青い歴史)を出版した。18日、全南大学5・18研究所の月例集談会の発表者を務めたノ教授は、「大学1年生だった1987年5月、光州の南東聖堂で開かれた5・18写真展を見て、衝撃を受けた」と話し、「軍資料を中心に、軍人たちがなぜ国民に暴行を加え、発砲したのかを追跡した」と、本の執筆動機を説明した。

『彼らの5・18:政治軍人たちはいかに動いたか』(青い歴史)//ハンギョレ新聞社

 ノ教授は、5月17日に非常戒厳が全国に拡大した後、5月20日夜に光州駅前で戒厳軍の集団発砲によりホ・ボン氏、キム・ジェファ氏の2人が犠牲になり、思いもよらない方向に状況が変わったと分析した。5・18民主化運動で初の民間人死亡者は殴打によって死亡したキム・ギョンチョル氏だったが、光州市民たちは、5月21日未明に太極旗に覆われて手押し車に乗せられ錦南路(クムナムロ)に現れたホ氏らの遺体を目にしてから「もはや軍を恐れないようになった」と説明した。結局、状況を統制できなくなった軍が錦南路に集まった市民に向かって集団発砲し、市民軍が武装蜂起で対抗した。

 ノ教授は「ただ、舎北事態(1980年4月、韓国最大の民営炭鉱の東原炭座舎北営業所で御用労組と賃金の小幅引き上げに抗議し、坑夫らが起こした労働争議)や6月抗争と違い、光州だけが発砲命令権者や文書が明らかになっていない」とし、「軍資料はこれからも発掘されるだろうが、捏造されたものが多く、分析に多くの時間が必要だろう」と述べた。

キム・ヨンヒ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/area/honam/963055.html韓国語原文入力:2020-09-22 02:32
訳H.J

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