あっという間に浸水した生活の基盤
「朝8時ごろ、すでに足首まで…10時に完全浸水」
断電と断水で復旧の見通し立たず
「物を運び出す気も起こらない…水道が使えずつらい」
油流出に頭痛や財産被害を訴え
「油でさえなければ…果物は全部廃棄」
「水が急に恐ろしい勢いで入ってきた。物も何かも放って車ですぐに逃げてきてしまった」
9日午前、全羅南道求礼郡求礼邑鳳東里(クレグン・クレウプ・ポンドンリ)の五日市場入口で鉄骨資材を販売するキム・チスさん(57)は、濡れた物を外に運び出しながら深いため息をついた。前日午前、成人男性の胸の高さまで浸水し、資材の大半が浸水する被害を受けたためだ。
キムさんは「昨日、蟾津江(ソムジンガン)下流の土旨面松亭里(トジミョン・ソンジョンリ)の方で洪水が発生したというので、朝8時ごろ店に出てみたが、すでに水が足首まで来ていた。じっとしていたら車も浸かりそうだったので、すぐ逃げた。午前10時にはすべて水に浸かってしまった」と緊迫した状況を振り返った。
求礼五日市場は修羅場となった。天井まで泥水をかぶった車が散らばっており、店舗内の商品は散乱していた。市場内の道は泥まみれで、長靴をはかなければ通行が難しい状態だった。前日は市の立つ日で、品物を並べて商売の準備していた300人あまりの商人は、片付けもできずにすべてを失った。
「チャンスネ薬房」を営むユ・ヨンテさん(72)は「水が天井までいっぱいになった。奥の部屋に住んでいるのだが、ものがひっくり返っていて、運び出す気も起こらない。水道の水が出なくて洗えないのでとてもつらい」と吐露した。
水道と電気が止まっているうえ、近くのガソリンスタンドと宿泊施設から流出したと推定される油の刺激臭のため、商人たちは「頭までズキズキする」と訴えた。
泥水に濡れた桃やスイカなどを外に運び出したソウル青果のイ・ヨンヒ社長(53)は、人々が果物を持って行こうとすると必死に止めた。油がついた果物を食べて腹を壊す恐れがあるからだ。イさんは「油でさえなかったら洗って、安くてもいいから売るつもりだったが、全部捨てなくては」と話した。
求礼邑で最も古いマンションで、今回の梅雨で1階が浸水した長安マンションの玄関で出会ったキム・スボクさん(70)は「1981年にも台風(『アグネス』)で浸水被害があったが、これほどではなかった」と語った。
求礼から南原(ナムウォン)へと通じる国道17号線の西施1橋(ソシイルギョ)付近では、決壊した堤防と道路の復旧作業の真っ最中だった。前日、この堤防が40メートルにわたって決壊し、川の水が求礼邑を襲った。午前6時30分、蟾津江ダムが放水を開始したことで、蟾津江の支流である西施川(ソシチョン)の水が蟾津江に合流できず、堤防を決壊させたと推定される。
求礼の住民は、蟾津江上流の蟾津江ダム(全羅北道任実(イムシル))と宝城江(ポソンガン)上流の住岩(チュアム)ダム(全羅南道順天(スンチョン))の水門を一気に開放したために生じた人災だと指摘する。蟾津江上流の全羅北道南原市金池面貴石里(クムジミョン・クィソンリ)の金谷橋(クムゴッキョ)付近の堤防も、前日午後12時50分頃に決壊し、4つの村の住民300人あまりが緊急避難した。求礼五日市場商人会長のイ・ウルジェさん(71)は、「雨が降り続いても、事前に水門を開いて調節していたら、このような洪水は起こらなかったはず。水門を開けるにしても、事前に通告してくれたら備えていただろうが、事前連絡は一言もなかった。商人たちと共に郡庁を訪れて抗議する予定」と述べた。
求礼郡庁のキム・ミンホ広報チーム長は「我々も水資源公社から、昨日午前に一方的に水門を開放するという通告を受けた。被害が最小限に抑えられるよう、復旧と支援に集中的に取り組んでいく」と述べた。
谷城(コクソン)では大雨によって山崩れが発生し、5人が死亡し、近隣住民たちは悲しみに暮れている。
7日午後8時30分頃、谷城郡梧山面善世里(オサンミョン・ソンセリ)の聖徳村(ソンドクマウル)近くの山の土砂が村を襲い、住宅3棟が土に埋もれ、すぐ隣にあった2棟が20メートルほど押し流された。この事故で、Yさん(53)とL里長(60)夫婦をはじめ、3年前に移住してきたKさん(73)とLさん(73)夫婦、Kさん(71、女性)の5人が死亡した。残りの村の住民たちは、梧山小学校の講堂に緊急避難し、被害を免れた。
梧山小学校で会ったチョン・サムジャさん(66)は、「家で夜の連続ドラマを見ていたら、突然鉄が裂ける大きな音がした。びっくりして靴を持ち出す間もなく、身一つでかろうじて逃げてきた。里長さん夫婦は7年前に故郷に戻ってきて、普段から村の仕事をよく手伝い、住民と親しくしていたのに、事故に遭って残念だ」と話した。