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[インタビュー]共に行こう我ら、サンティアゴ巡礼の道へ

登録:2020-01-13 03:38 修正:2020-01-13 15:18
キム・ジンスク民主労総釜山本部指導委員 

高所座り込みの仲間、パク・ムンジンに会いに 
がん闘病中に110キロ以上徒歩で行進 

「路上で闘ったり断食したり 
極限に追いやられる労働者たち 
どんな政権になればなくなるのか」
民主労総釜山本部のキム・ジンスク指導委員が先月29日、大邱の嶺南大学医療院の屋上で高所座り込み中の解雇労働者パク・ムンジンさんの涙を拭っている=大邱/チョン・グァンジュン記者//ハンギョレ新聞社

 民主労総釜山本部のキム・ジンスク指導委員(60)は看護士のパク・ムンジンさん(59、保健医療労組指導委員)に会って、元気が出たと話した。「がん患者になってみると、自信がなくなり、知り合いに会うのが怖かったんです。私の状態を誰かが確認して、見てしまうのがちょっとね…。でも、今回行って来たら精神状態がかなり回復しました」(6日ハンギョレの電話インタビューで)

 キム・ジンスクさんは2018年10月に乳がんの手術を受けて闘病中だ。先月22日、ツイッターに「抗がん後遺症、うつ病、知人忌避症、薬物の副作用による関節痛まで、フルオプションで病んでいるところですが、(中略)病むのも贅沢ということで、歩いてパク・ムンジンさんのところに行きます」と書いて、翌日に長年の仲間を訪ねて旅立った。慶尚南道梁山市(ヤンサンシ)にある釜山(プサン)都市鉄道の湖浦(ホポ)駅近くからの一人旅には、人々が続々と集まってきた。110キロ以上を歩いて先月29日に大邱(テグ)の嶺南大学医療院に着いた時には200人に増えていた。その「連帯の道」でキム・ジンスクさんは励まされたようだった。

 キムさんが旅立ちを決心したのは昨年10月初め、パク・ムンジンさんの高所座り込みが100日にさしかかるころだ。「私にとっては特別な仲間だし、屋上に上がった時はとても驚きました。それがどんな状況なのか分かるから。胸はとても痛むのに身体は動かせない状況なので、何もできませんでした。でも100日近くなって、長くなるだろうなという判断がつきました」。

 歩く練習を始めた。長けれは30日程度かかると予想して、毎日少しずつ時間と距離を増やした。「妥結するなら大半は100日以内にします。100日を超えると上にいる人も本当に大変です。決断して上がったのに世の中はあまり関心がなく、使用者側もあまり変化がなく、苦しいのに苦しいとも言えないから、さらに苦しい。せめて私くらいは何かしなければと思い、歩いていくことにしたんです」。

 2人は慶尚道地域の労働運動の中で出会った。キム・ジンスクさんが釜山労働者連合の議長だった1993年に東莱奉生(トンネボンセン)病院労組の活動を支援したとき、大邱の嶺南大学医療院労組の委員長だったのがパク・ムンジンさんで、2人は自然と知り合った。1歳違いの2人の女性労働運動家は、すぐ友達になった。「パク・ムンジンは楽天的で明るいんです。澱んだ所がない。労組の事務所から正門ロビーまで出るのに、人びととあいさつするために1時間がかるんだから。包容力があるんですよ。私は人に対してはちょっとキツい面があるんですけど(笑)」。

 キム・ジンスクさんは、2011年に自分が韓進(ハンジン)重工業の釜山影島(ヨンド)造船所のクレーンの上で座り込みをしている時に、京畿道平澤(ピョンテク)から400キロを歩いてきて力を与えてくた双龍(サンヨン)自動車の解雇労働者たちのことを考えたという。薬1袋と1食分の食料、地図アプリがインストールされていない電話、「がんばれパク・ムンジン」と書いた小さなプラカードだけを持って出発した。初日(12月23日)は道が分からなくてかなり迷った。翌日から人が合流しはじめ、一緒に歩いていたら一度も道に迷わなかった。金属労組韓進重工業支会の仲間たち、KTXの乗務員たち、「密陽(ミリャン)のハルメ」(密陽送電塔反対住民対策委員会)、古里(コリ)原発に反対する住民たちなどが一緒に歩いた。

キム・ジンスクさんが先月28日、徒歩行進に訪ねてきたKTXの乗務員らと共に明るく笑っている=キム・ジンスクさん提供//ハンギョレ新聞社

 2日目のクリスマスイブに飛び込んできた双龍自動車労働者「無期限復職延期」のニュースに、キムさんは「大統領まで出てきて結んだ労使合意をこんなにも簡単に破る資本。労働者に対話で解決せよと言うなかれ。対話を回避し、合意を破るのは常に使用者側であり、常に極限に追い込んできた。まったく。本当にあきれる」とツイッターに書き込んだ。「心が本当に痛む。文在寅(ムン・ジェイン)大統領が当選したから、労働問題の画期的な転換までは行かなくても、少なくとも高所に上ったり、断食をしたり、路上で孤独に闘ったりする労働者たちはいなくなると思っていました。労働者はどんな政権が立てば尊重されるんでしょうか」

 高さ70メートルの屋上から手を振る友を見て、キムさんはボロボロ涙を流したという。「古い友人だから大丈夫だと思っていたのに…。でも、いざ上って顔を見たら、話すことはあまりなかったんですよ(笑)」

 キムさんは、今回の旅で出会ったKTXの乗務員たちは誰よりも会えて嬉しかったという。2006年5月に解雇され、13年も復職闘争をしてきた彼女らには何度も会ってきたが、「あんなに明るい表情は初めて見た」からだ。KTXの乗務員たちは2018年7月に復職に合意し、その年の11月に職場に戻った。

 「労働組合ができれば、まるで会社がつぶれるかのように考えるのが軋轢の始まりです。そう考えたら労組は当然弾圧しなければならず、なくさなければならず、解雇しなければならない、ということになります。でもそうじゃないでしょう? KTXの労働者たちに他の同僚たちが『13年間闘ってきたと言うから、角の生えた人かと思った』と言ったんですって。その仲間たち、仕事もうまくいっていて、表情がとても明るくなってました。13年を路上で泣きわめきながら闘わせる文化は本当に間違ってます。労組が健康であればあるほど、会社も安定するし、不正腐敗も減ります。労組活動をするからと言って弾圧し解雇するのが当然視される社会でなかったらいいのにと本当に思います」。

 パク・ムンジンさんの復職闘争も14年目に入っている。キム・ジンスクさんがクレーン上で着ていた赤いダウンジャケットを受け継いで行われている高所座り込みは、来週で200日目を迎える。2人が同じ服を着たのはこれが初めてではない。パク・ムンジンさんはクレーン上にいたキム・ジンスクさんにダウンのズボンを持って行ってあげたことがある。「とっても温かかった。ところが2012年に、朴槿恵(パク・クネ)の家の前で座り込みをするんだけど、ソウルだから本当に寒いだろうから返してくれと言うんですよ。それで今回、屋上から降りてきたらダウンジャケット返せと言って復讐してやりました(笑)」。

 キム・ジンスクさんはパク・ムンジンさんに運動靴も買ってくれと言った。「今回歩いてきたら、新しく買った靴が全部すり切れてしまった。ここまで来たんだから、あんたもそれぐらいしてくれたっていいでしょう」と言って。そして、2人は新しい靴を履いて、普段から一緒に行こうと言っていたサンティアゴ巡礼路に行くことにした。

イ・ジウン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/924038.html韓国語原文入力:2020-01-11 09:20
訳D.K

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