26歳のイ・ミンスさん(仮名)は今年8月、遅まきながら高校生になった。イさんは北朝鮮からやって来て、2017年4月に大きな夢を抱いて韓国生活を始めた。韓国社会について学びたかった。しかし、20代半ばのイさんを受け入れてくれる学校はなかった。生計という冷徹な現実も彼を遮った。釜山(プサン)では5トントラックを運転し、仁川(インチョン)ではプレス機の前で食器をつくった。
彼を受け入れてくれたのは北朝鮮離脱青少年のオルタナティブスクール(代案学校)である「黎明学校」だ。イさんは8月、黎明学校の高等課程2年生に入学した。正規の授業と寮生活の両方を無料で受ける。法学部を卒業した後は警察になって「弱者を守りたい」というイさんにとって、黎明学校は「夢であり希望」だ。
イさんのような北朝鮮離脱青少年たちの夢と希望が揺さぶられている。ソウル中区にある黎明学校が2021年の移転を控え、ソウル恩平(ウンピョン)ニュータウンに新しい場所を用意しようとしたところ、一部のニュータウン住民たちが強力に反発しているからだ。
2004年に開設された黎明学校は、2010年にソウル市から北朝鮮離脱青少年のオルタナティブスクールの中で初めて学歴認定を受けた。教師16人が17~26歳の生徒89人を教える。生徒の半分はソウル恩平区、九老区(クログ)などで借りた集合住宅で寮生活をしている。現在使用中の建物の賃貸契約が2021年2月に終わるため、3年前から新しい学校用地探しに取り組んでいたが、適当な場所を見つけることができなかった。ソウル市とソウル住宅都市公社(SH)が乗り出した末、恩平区津官洞(チングァンドン)の公益施設の敷地を推薦された。
新しい場所を見つけた喜びもつかの間だった。「恩平ニュータウン内の住民の意見を無視した黎明学校新設・移転推進を阻止してほしい」という大統領府の国民請願が寄せられるなど、地域住民の反対世論が起こると、自治体の恩平区が「移転保留」まで検討しはじめたからだ。住民は、住民に事前に十分な知らせがなかったことや、用途変更特恵の疑惑などを移転反対の理由に挙げている。
しかし、10日のソウル市や恩平区の関係者などの説明を総合すると、黎明学校の移転に手続き的問題はない。恩平区の関係者は「供覧公告、区議会の意見聴取、住民公聴会など、通常の手続き通りに進めた」と述べた。SH公社の関係者も、用途変更の特恵に対する主張について「公益用地は民間の売却などを通じて性格に合う事業者を受け入れる敷地だ」と強調した。さらに、黎明学校の移転敷地は過去10年余り活用されていない土地だ。
住民の反対の裏には、オルタナティブスクールである黎明学校を「忌避施設」として取り上げるなど、「北朝鮮離脱住民」に対する偏見が明確に作用している。恩平ニュータウンの住民が利用するネイバーのあるオンラインカフェには、黎明学校移転のニュースに「請願を出しましょう。恩平ニュータウンにこれ以上忌避施設は容認できません」「町の質がかなり落ちます。私たち全員で命がけで阻止しなければなりません」などのコメントが書き込まれた。
偏見に満ちた言葉が飛び交う中、南北をつなぐ架け橋を夢見て黎明学校を守ってきた青少年たちの失望感は大きい。看護士が夢だというパク・ヨンジさん(仮名・17)は「教頭先生からそのニュースを聞いて、ものすごく泣いた。後輩たちが過ごす空間だから私も期待が大きかったが、移転できなくなるかもしれないという話を聞いて、悲しすぎて涙が出た」と話した。イ・ミンスさんも「住民にとって悪いことなら私たちも望まないが、これからも勉強を一生懸命にして大韓民国の発展に貢献できると期待して、寛容に受け入れていただけないだろうか」と言葉を濁した。