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「ごめんなさいベトナム運動」20周年…一堂に会した韓米ベトナム参戦兵

登録:2019-11-21 02:42 修正:2019-11-21 06:49
韓国、米国、ベトナム「ベトナム戦争」参戦兵の対話開催 
ベトナム帰りの彼らが語る「ベトナム戦争」の痛みと苦しみ 
21日に国際学術大会、23日に韓国政府の責任追及記者会見
20日午後4時、ソウル城東区往十里駅近くのギャラリーハブで開かれた「韓国、米国、ベトナム、参戦兵の対話」でベトナム人クオック・クァン・トゥイ氏、西江大史学科のイム・ジヒョン教授、作家のキム・ナギョン氏、ジェラルド・ウェイト研究員と通訳が話している//ハンギョレ新聞社

 韓国人キム・ナギョン(71・作家)、米国人ジェラルド・ウェイト(72・人類学者)、ベトナム人クオック・クァン・トゥイ(69・作家)。20日午後4時、ソウル城東区往十里(ワンシムニ)駅近くのギャラリーハブで開かれたトークショーで、3人が並んで座っている。国籍も仕事も違う者同士が席を共にする光景は多少ぎこちなく見えたが、彼らには共通点がある。「ベトナム戦争」だ。3人は1970~1975年に「ベトナム戦争」に参戦した兵士である。彼らはそれぞれのベトナム参戦当時の残酷な記憶と傷を慎重に切り出した。

 1972年に韓国の猛虎(メンホ)部隊所属の兵士として、ベトナムでアンケパス戦闘に参戦したキム・ナギョンさんがまず口を開いた。キムさんは「私たちの中隊100人が戦闘に入り、13人しか生き残れなかった程の全滅状態だった」、「当時、あの人(敵軍)は私より良い考えを持って良い社会を作るかもしれないのに、絶対に撃たなければならないのか悩んだ。敵に遭遇すれば銃を撃たなければならないので、敵に会いませんようにと毎日祈った」と振り返った。

 続いて、現在は平和・紛争研究所研究員として活動中のジェラルド・ウェイトさんも「戦争が終わった後、2000年にベトナムを16回も訪問して、当時の戦闘に参加した人たちを追悼して線香をあげた」と、やるせない思いをのぞかせた。1970年から2年間ベトナム戦争に民事担当将校として参加した彼は「コノイからベトナム軍を放逐せよとの命令を受け、米軍と韓国海兵隊が数回にわたって共同作戦を遂行した。その後、砲弾と爆撃はその地域を動植物の一つもない月面のようなホコリだらけの地に変えてしまった」と証言した。

 「懺悔」を込めた2人の告白に続き、クオック・クァン・トゥイさんが「許し」を込めて話を継いだ。「ベトナム戦争はベトナム人の運命だけでなく、人類の運命に影響を与えた事件だった。戦争に参加した勇士たちは間違っていたという罪の意識を持っているようだ。ベトナム人にとって悲劇的なことだ。しかし、恨みを胸にしまい込んではいない」。また彼は、「戦争における過ちは決して修正できないが、私たちが今日この場でこのような話をするのは、過去の過ちを認識し、共有して人類が二度とこのような過ちに陥らないようにするためだ。過ちを記憶するだけでも多くのことをしたことになる」と語った。

 彼らが一堂に会したのは「ごめんなさいベトナム運動」20周年を記憶するためだ。ベトナム戦争当時の韓国軍による民間人虐殺の真相究明と謝罪を促すため、2000年に始まった「ごめんなさいベトナム運動」は今年で20周年を迎えた。「韓ベ平和財団」はこの日のトークショーに続き、21日にはソウル大学国際大学院で国際学術大会を開催する。韓国社会でベトナム戦争を中心テーマとして開かれる国際学術大会は今回が初めて。

 彼らは23日午後2時から、光化門(クァンファムン)ファイナンスセンター前で、ベトナム民間人虐殺被害者に対する賠償、▽フォンニィ・フォンニャット村民間人虐殺事件についての参戦兵士に対する調査文書の公開▽すべての市中の教科書への民間人虐殺問題の追加などを要求する集会も予定している。昨年3月に文在寅(ムン・ジェイン)大統領はベトナムを国賓として訪問し、この問題に遺憾の意を表したが、政府が虐殺の事実を認めてベトナム政府に公式に謝罪したことはない。

文・写真/クォン・ジダム記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/917829.html韓国語原文入力:2019-11-20 19:36
訳D.K

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