朝鮮半島の非武装地帯(DMZ)の未来の姿を予想する接境地域の例としては、ドイツの「グリーンベルト」(緑の帯)が代表的だ。約30年間東西ドイツが対立した旧国境の「鉄のカーテン」が自然保全と生態・歴史観光地に様変りし、ドイツを越えて欧州のグリーンベルトに生まれ変わっているためだ。
グリーンベルトは長さ1393キロメートル、幅50~200メートル、面積177平方キロメートルで、9つの州政府を通過し、1つの国立公園、3つの生物圏保全地域、136の自然保全地域にわたっている。この緑の帯一帯には約5200種の動植物が生息しており、そのうち600種以上が絶滅危惧種という分析もある。
冷戦と死の空間だった分断の現場が、和合と生命の象徴空間に様変りした背景には、1972年の「東西ドイツ関係基本条約」がある。この条約を結んだ後、東西ドイツは翌年「接境委員会」を設置し、水資源、エネルギー、自然災害防止などの協力に乗り出した。
1989年、ベルリンの壁が崩壊し、「死の地帯」だった軍事境界線は本格的に「平和の緑の帯」に生まれ変わり始めた。ドイツは生態の宝庫となった国境地帯を保全するため、グリーンベルト事業を行った。環境団体の「BUND」が政府支援を受けこの事業と関連した運動を主導した。官民が一緒に運動に参加して、開発と保全に対する社会的葛藤を最小化した。そして約30年ぶりに、国境地帯には分断の傷跡がすっかり消えた。
難関がなかったわけではない。統一後、国境地域の土地が過去の持ち主に戻って国家の管理対象から外れ、一部の土地は企業に売却され、生態系の破壊の危険に陥った。しかし、ドイツ政府は生態系保全のために国境一帯の私有地を集中的に購入して国有化し、この一帯を国家自然遺産に指定し、州政府に帰属させ、2003年の国境地域の保全、活用基盤を築くことができた。
グリーンベルトは21世紀に入って超国家的環境運動にまで広がっている。2002年にドイツを訪問したミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領は、グリーンベルトを南北に拡張する欧州グリーンベルト運動を提唱した。グリーンベルトはスカンジナビア、バルト海、中部ヨーロッパ、バルカンなど24カ国を通過する1万2500キロメートルに拡大された。
国立生態院のパク・ウンジン経営企画室長は「グリーンベルトが保全・復元と観光モデル事業との調和を推進し、持続可能な発展空間として象徴性を高めたという点で、DMZの保全と活用の方向に示唆するところが大きい」とし、「地方政府とNGO(非政府機構)、地域住民の参加を通じて、DMZの保全と開発の社会的葛藤を最小化する努力が必要だ」と語った。