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[ルポ]「漢江河口からDMZまで」鉄条網でガチガチに括られた朝鮮半島の腰部

登録:2019-09-22 21:50 修正:2019-11-05 23:07
京畿道-ハンギョレ共同企画 
[DMZ現場報告書](1)境界の風景 
南北、GOP鉄条網を前線陣地に配置し、DMZ面積43%減少 
住民・環境団体「対策なき民統線解除で環境破壊」 
京畿北部のグリーンベルト・軍事保護区域など「特別な犠牲」
京畿道漣川郡百鶴面の陸軍25師団の常勝展望台から眺めた鉄条網内側の非武装地帯と南北の主要都市への標識=パク・ギョンマン記者//ハンギョレ新聞社

 朝鮮半島の腰部を区分する「非武装地帯」(DMZ)は、皮肉にも過去70年間にわたり世界で最も重武装された地域だった。把握さえできないほど多くの地雷が埋設されたここは、国境であっても誰も通過できない国境だった。

 完全な断絶の空間に新しい風が吹いている。南と北は昨年、9・19軍事合意を通じて非武装地帯一円での一切の軍事訓練を禁止し、非武装地帯を平和地帯にするための軍事的対策を講じることにした。非武装地帯が朝鮮半島の新しい未来を開く希望の土地に生まれ変わる瞬間だった。「秘密の森」である非武装地帯は、山林、渓谷、河川、湿地の原形がよく保存され、タンチョウヅル、ツキノワグマ、ジャコウジカ、朝鮮カモシカなど絶滅危惧種と朝鮮半島の生物種の40%が平和に暮らす野生動植物の楽園だ。天恵の自然環境は、安保観光から生態・平和観光への可能性を見せている。過去1年、軍事合意書の履行は停滞しているものの、分断の象徴を平和の空間にしようという夢は今日も続いている。

 ソウルから京畿道坡州(パジュ)の非武装地帯までの距離は約50キロメートルしかない。だが、その道を行くためには、多くの境界と障壁を越えなければならない。京畿道高陽(コヤン)、金浦(キンポ)、坡州、漣川(ヨンチョン)など、首都圏北部地域は過去70年間にわたりソウル防御のための軍部隊と軍事施設が場所を占め、多様な「冷戦の風景」を見せている。

 ソウルから漢江(ハンガン)下流に沿って境界地域の高揚~坡州区間に造成された自由路を走ってみれば、漢江河口を周到ガチガチに囲んだ鉄条網が視野を遮る。視線を転じて前に向かえば巨大なコンクリート塊が要所を守るように立っている。対戦車防御壁だ。漢江河口と恭陵(コンヌン)川、文山川(ムンサンチョン・「ムン」はサンズイに文)などの河川内には「龍歯(ヨンチ)」と呼ばれる軍事防護施設が怪物のように河川を横切っている。龍の歯という意味を持っている“ヨンチ”は、敵の戦車を阻止するために1970年代に境界地域の河川辺に集中的に設置された。

 高陽・坡州を過ぎて民北地域(民間人出入統制線の北方地域)へ行く最初の関門は、民間人出入統制線(民統線)検問所のある統一大橋だ。橋の入口に設置された稠密なバリケードをすぎれば民間人出入統制地域に入る。民統線をすぎ、非武装地帯の入口である南方限界線には堅固な前方警戒所(GOP)の鉄条網が待っている。ものものしいGOPの鉄条網の通門を通過すれば、南の土地でありながら国連軍司令部がすべてを管轄、統制する非武装地帯領域が始まる。非武装地帯の景観は、冷たいGOPの鉄条網と鉄甕城(チョロンソン)のような監視警戒所(GP)、そして軍人たちの移動路だ。この中で1万人を超える南北の若者たちが、胸に手榴弾をつけ互いに銃口でねらって対峙している。

元来は非武装地帯の中だった京畿道漣川郡百鶴面の陸軍25師団の常勝展望台に18日、国連旗と太極旗が並んではためいている=パク・ギョンマン記者//ハンギョレ新聞社

■南北の軍人1万人が対峙した非武装地帯

 今月18日、京畿道漣川郡百鶴面(ペッカンミョン)の陸軍25師団の常勝(サンスン)展望台(OP)から眺めた非武装地帯は、1974年に発見された「1号トンネル」と共に北朝鮮人民軍のGPと北方境界線が肉眼で見える程に近く感じられた。

 非武装地帯は、1953年7月の停戦協定により、臨津江(イムジンガン)河口から江原道高城(コソン)東海岸までの248キロメートル(155マイル)区間に軍事境界線(休戦ライン・MDL)を中心に南北各2キロメートルずつ設定した軍事的緩衝地帯をいう。だが、南北は鉄条網を前陣配置したため、その幅は1.5キロメートルに狭まった。

 非武装地帯の幅が狭まったのは、1960年代から南と北が非武装地帯内で相手の動きをよく観測できる高地を確保するために、軍事境界線側に鉄条網を近づけたためだ。軍関係者は「北側が先に休戦ライン側に鉄条網を移し、非武装地帯内の高地に陣地形態のOPを作った。我が軍もそれに対応して国連司令部の許可を受け、鉄条網を内側に移動させ非武装地帯内側の高地にOPを建てた」と説明した。南北による鉄条網前陣配置で、停戦当時に992平方キロメートルだった非武装地帯の面積は現在570平方キロメートルとなり、約43%縮小された。

 非武装地帯を流れる沙彌川(サミチョン)周辺は、戦争前は良質のコメが生産される漣川平野だったが、今は湿地に変わった。南と北は昨年の9・19軍事合意の後、沙彌川付近のGP各1カ所を撤去した。

 非武装地帯の重武装化は停戦協定違反だ。停戦協定には、非武装地帯への出入りは民事行政と救済事業の目的に限られ、出入者は双方が各1千人を超えてはならないことに合意した。また、民事行政警察の武装も半自動小銃に限定し、連発射撃を不可能とした。大規模軍事衝突を防止しようとの趣旨だった。

 だが、北側が1950年代後半にソ連製AK自動小銃を、韓国軍も1960年代末にM16自動小銃を配置した後に、南北は1970~90年代までGPと機関砲などの各種重武器を先を争うように配置して兵力を大きく膨らませた。

 停戦協定後、多少緊張が緩んでいた休戦ライン一帯は、1960年代中盤に冷戦が激化すると急変し始めた。休戦ライン一帯で軍事的衝突が急増し、韓国軍は1967年から南方限界線に沿って既に設置されていた木柵を鉄柵に変えていった。1965~69年の間に非武装地帯で起きた銃撃戦は415件にのぼり、数百人が戦死した。1969年の「ニクソン・ドクトリン」以後、休戦ライン一帯で軍事衝突は大幅に減り、1990年代以後には軍事衝突はほとんど発生していない。

 南北の軍事力が対峙する非武装地帯は、9・19軍事合意でGP20カ所が試験的に撤去され、新たな転機をむかえている。

秋夕(中秋節)翌日の今月14日、京畿道坡州市積城面の臨津江辺に造成された北朝鮮軍人墓地のある墓石に一輪の菊の花が供えられている=パク・ギョンマン記者//ハンギョレ新聞社

■対策なき民統線解除で環境が毀損された鉄原

 非武装地帯とともに、一般的に非武装地帯一円と呼ばれる民統線は、停戦の翌年である1954年に作られた。軍事境界線から10キロメートル以内の民統線は、在韓米軍司令官と国防部長官が非武装地帯の警戒のために共同で設定し公布した。境界表示は別にないが、境界地域の要所に軍部隊警戒所と検問所を作り、軍人が民間人の出入りを統制している。

 非武装地帯一円は14個の展望台と臨津閣などの観光名所を訪れる観光客が年間600万人にのぼる。

 坡州の長湍(チャンダン)半島は、農地が多くアクセスが良いため外部から出入りしている営農者が多い。彼らは私有地なのに出入りが難しく、日の出後に入り日没前には出なければならないため、検問所の軍人としばしばもめる。民統線一帯は、誰が埋設したかも分からない地雷による人命被害も莫大だ。

 朴正煕(パク・チョンヒ)政権は、1968~1973年に前方防御と心理戦の一環として民統線内に戦略村113カ所を建設した。大部分が私有地であり、財産権侵害論議と開発圧力、通行の不便などを理由に次第に減り、非武装地帯の村である坡州大成洞(テソンドン)の村を含めて京畿道に4カ所(坡州市統一村、ヘマル村、漣川郡の横山(フェンサン)里)と江原道に4カ所(鉄原郡の二吉(イギル)里、亭淵里(チョンヨルリ)・楡谷(ユゴク)里・馬ヒョン里)だけが残った。

 韓国政府は、高城、鉄原、坡州のDMZ区間に平和の周遊道を作ったのに続き、5個の南北連結道路建設と民統線全面解除を検討している。一部の住民と環境団体は、DMZ一円の乱開発が憂慮されるとして、民統線を保全しなければならないと主張している。

 環境運動連合は19日、大統領府前で記者会見を行い「北朝鮮と非武装地帯・境界地域に対する生態・歴史・文化保全原則の合意が先決だ。文山(ムンサン)-都羅山(トラサン)高速道路など民統線・境界地域の生態系を破壊する開発を中止せよ」と要求した。

 鉄原の住民チェ・ジョンスさんは「何の対策もなしに民統線が解除されたために、鉄原の自然環境が大きく破壊された。民統線がちゃんと保全されてこそDMZも保全される」と話した。実際、2012年に民統線から解除された鉄原郡東松邑(トンソンウプ)陽地里(ヤンジリ)の場合、外部の人が不正に工場型の畜舎と大規模ソーラー施設をむやみに設置し、環境破壊が深刻だという。

京畿道高陽市の自由路と漢江河口のチャンハン湿地の間に張られた鉄条網=パク・ギョンマン記者//ハンギョレ新聞社

■京畿北部境界地域の“特別な犠牲”

 朴正煕政権は1971年からソウル郊外に開発制限区域(グリーンベルト)を指定した。グリーンベルト指定は当時、大都市の成長抑制という名分以外に、1・21事態(1968年1月21日、北朝鮮の武装ゲリラが大統領府襲撃のためソウルに浸透した事件)以後の首都防衛のためにソウル周辺に集中配置した各種軍事施設を隠し保護する目的も含まれていた。京畿道の土地1166平方キロメートルがグリーンベルトに指定され、京畿北部最大の都市である高陽市には、1軍団司令部と4個師団司令部、傘下部隊、各種の軍事施設が作られた。国土交通部は、ソウル周辺のグリーンベルト指定を解除し、高陽昌陵(チャンヌン)地区など首都圏第3期新都市建設を推進中だ。

 朴正煕政権は1972年12月、軍事施設保護法を制定し、軍事境界線から27キロメートル以内の膨大な地域を軍事施設保護区域に指定した。軍事施設保護区域は、建物を新築できなかったり、軍との協議を経なければ開発が不可能で、地域の発展と住民生活、財産権行使に大きな制約となった。漣川の94%をはじめ坡州(91%)、金浦(76%)、楊州(53%)、高陽(43%)など、京畿北部の7個の市・郡の75%が軍事施設保護区域になった。国防部は昨年末、韓国の面積の8.8%を占める軍事施設保護区域のうち337平方キロメートルを解除することにした。イ・ジェミョン京畿道知事は「安保のために特別な犠牲を払った京畿北部地域には特別な補償をしなければならない」と話した。

パク・ギョンマン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/area/capital/910369.html韓国語原文入力:2019-09-21 05:00
訳J.S

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