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[インタビュー]「勤労挺身隊の闘争映像から“名古屋の愚直な市民たち”を見つけた」

登録:2019-09-16 09:50 修正:2019-09-16 10:30
ドキュメンタリーを制作したイム・ヨンチョル監督
名古屋訴訟支援の会の高橋信共同代表とイム・ヨンチョルドキュメンタリー監督(右)=写真・勤労挺身隊市民の会提供//ハンギョレ新聞社

 ドキュメンタリー「名古屋のパボ(ばか)たち」(75分)を制作したイム・ヨンチョル監督(47)は10日、「誰かは記録しなければならない仕事だと思って始めたのが、いつのまにか10年を越えてしまった」と話した。

 この作品は、朝鮮女子勤労挺身隊被害者の女性たちと連帯してきた「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」(以下、名古屋訴訟支援の会)の活動が描かれている。勤労挺身隊とは、日帝強制占領期(日本の植民地時代)に13~15歳という幼い歳で日本の軍需工場労働者として動員されて働き、賃金を一銭も受けとれなかった被害者たちのことを言い、現在180人余りが生存している。

2005年の「日帝強制動員」映像作業で 
「被害者証言」をした先輩の母が亡くなり 
記録者として恥ずかしい思い 
2009年から私費で闘争の現場に同行 
「名古屋訴訟支援の会」の連帯活動に感動 
「20年余り『ばかものたち』のように愚直に支援した」 
23・24日、光州でドキュメンタリー上映会

 イム監督が勤労挺身隊を知ったのは2005年頃だ。VJ(ビデオジャーナリスト)として活動していた彼は、ある放送局の依頼を受けて日帝強占期の強制動員被害者に関する申告映像を撮りに行き、偶然、知人に会った。「小さい時からよく会っていた先輩のお母さんが、『私も勤労挺身隊被害者だ』とおっしゃったんです。私のすぐ近くに日帝強制動員の被害者がいると考え、驚きました」

 彼は2009年3月に発足された「勤労挺身隊女性と共にする市民の会」の会員に加わった。同年7月、先輩の母の故キム・ヘオクさんが勤労挺身隊損害賠償訴訟中に亡くなったという知らせを聞き、“証言記録者”として恥ずかしいと思った。

 三菱自動車販売店の前で開かれた高校生のろうそく文化祭(2009年11月)が、長い道のりの第一歩だった。翌年6月には、勤労挺身隊市民の会のメンバーらが日本の三菱重工業本社を訪れ、三歩一拜(三歩歩いて一回跪いてお辞儀する行動)闘争をした時も同行した。彼は「勤労挺身隊闘争の現場や行事がある時は、全ての仕事をさておいて私費を投じてでも追いかけた」と話した。

 イム監督は当初、勤労挺身隊闘争の象徴的人物であるヤン・クムドクさん(88)の生涯と闘争を映像で記録するつもりだった。ところが、これまで撮った3テラバイトの量の映像を何度も繰り返し見て、「良心的な日本の市民たちの連帯活動」に心が引かれた。彼は昨年5月、「ニュース打破」の映像公募展に「名古屋のパボ(ばか)たち」というタイトルで応募して当選した。この作品は、2月に「ニュース打破」を通じて初めて披露された。イム監督は「長い間抱えていた荷物を少しは下ろした気持ちだった」と語った。

 この作品の中心人物は、名古屋訴訟支援会の高橋信共同代表(77)だ。名古屋の教師だった彼は、1998年に1100人が参加する名古屋訴訟支援の会を設立した後、同年3月に韓国の勤労挺身隊被害者たちが日本の裁判所に損害賠償請求訴訟をするよう支援した。訴訟は2008年に日本の最高裁判所で最終的に敗訴が確定されたが、終わりではなかった。彼らは2007年7月から毎週東京三菱本社に駆けつけ、謝罪を求める「金曜行動」を始め、今までずっと続いている。イム監督は「三菱重工業の謝罪を求めるチラシを数百人に勧め、10枚も手に握らせるのです。愚直な彼らの活動を見て、逆説的な意味で『バカたち』というタイトルをつけました」と語った。

 光州(クァンジュ)広域市は23日、光州市庁で「名古屋のパボ(ばか)たち」を上映する。この日、高橋信共同代表も出席する。作品の中には、イ・ヨンソプ光州市長が国会議員だった頃の2010年6月に、三菱重工業東京本社前で三歩一拜行動に同行した姿も含まれている。勤労挺身隊市民の会も24日夕方7時、光州独立映画館でこの作品を「アンコール上映」する。

 先月29日に開かれた初の上映会が終わった後、観客たちはこの作品を日本で上映できるよう、1人1万ウォンずつ集める「市民ファンド」を提案もした。イム監督彼は「日本語字幕など今後後続作業を続けて、日本で必ず上映したい」と話した。

 イム監督は1999年に映像作業を開始した後、「東光州病院労働者闘争」、聴覚障害者のインファ学校性暴力事件の人権現場を記録してきた作家だ。勤労挺身隊被害者たちも「挺身隊」という名前のために深い傷を受けたが、大きな関心を向けられなかった歴史の少数者たちだった。

 イム監督に残されたもう一つの宿題は、もともと最初に企画した「原告ヤン・クムドク」を完成させることだ。彼は「ヤン・クムドクさんが日本政府と三菱重工業の謝罪を受けて、嬉しくて踊りを踊る姿を必ず映像に残したい」と話した。

チョン・デハ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/909598.html韓国語原文入力:2019-09-15 18:58修正:2019-09-15 20:08
訳C.M

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