「いま私たちは一つの時代とお別れをしています。韓国現代史の荒波のさなかを最も強く乗り越えてきた李姫鎬(イ・ヒホ)女史をお送りしたいと思います」(李洛淵(イ・ナギョン)首相の弔辞)
李姫鎬・金大中平和センター理事長の社会葬の追悼式が14日午前9時30分、政官界関係者や市民2千人が参加したなか、ソウル銅雀洞(トンジャクドン)の国立ソウル顕忠院顕忠館で執り行われた。感情を抑えて弔辞を読んでいた李洛淵首相は、「女史、そこには拷問も投獄もないでしょう。拉致も死刑宣告もありません。金大中(キム・デジュン)元大統領と共に、どうか安らかに」というところで喉が詰まったようにしばし息を整えた。「政権交代の半分も女史の業績だった」と評価した李首相は、李理事長の永眠に「一つの時代との別れ」という意味を与えた。
追悼の辞を読み上げたイ・ヘチャン共に民主党代表は、「1980年の内乱陰謀事件の裁判で金元大統領が死刑宣告を受けた時、不屈の意志で危機を乗り越えていく女史を見て、深い感動を受けた。東橋洞(トンギョドン)で毎朝党役員たちに温かいご飯、美味しいおかずを用意して下さった姿も記憶に残っている」と振り返った。ファン・ギョアン自由韓国党代表は「女史の人生そのものが大韓民国の民主主義の歴史だ。もう国を心配せず、どうか天国で安らかにお眠りください」と語った。チャン・ハジン元女性部長官は李理事長を「先輩」と呼び、「決して涙を流さない。女性の人権と民主化、平和のための先輩の夢が実現するその日まで、この地の娘たちと一緒に前進する」と誓った。
民主平和統一諮問会議のキム・ドクリョン首席副議長は、金正恩(キム・ジョンウン)北朝鮮国務委員長が送った弔電を代読した。追悼式にはムン・ヒサン国会議長と与野党5党代表、ノ・ヨンミン大統領秘書室長、チン・ヨン行政安全部長官、パク・ウォンスン・ソウル市長と外交使節20人余りが参席した。
追悼式が終わった後、故人は顕忠院の金元大統領の墓地に合葬された。遺族たちはあらかじめ開葬してあった墓に下棺し、棺の上に土を撒く儀式を行った。永葬式は、李理事長と金元大統領の民主化運動の同志だったイ・へドン牧師の引導で行われた。故人を見送る最後の瞬間、遺族や知人のすすり泣きがあちこちで続いた。三男のキム・ホンゴル民族和解協力汎国民協議会代表常任議長は、涙をこらえるように何度も眼鏡をかけ直し、李理事長の幼い孫娘はこらえきれず泣き声を上げた。
これに先立ち、李理事長が生前に通ったソウル西大門区(ソデムング)のチャンチョン教会では、朝7時に葬礼礼拝が行われた。礼拝を終えた霊柩行列は、故人が金元大統領と1964年から暮らした東橋洞の自宅に向かった。遺族たちは李理事長の遺影を手にし、15分ほど自宅の応接室と寝室、自宅の隣りの金大中図書館を回った。李理事長の長孫のキム・ジョンデ氏は、自宅を出て門の前に並べられた「金大中・李姫鎬」の表札に向かって短く黙礼をした。霊柩車は午前8時50分頃、自宅を警護してきた施設警備中隊の敬礼を受け、住み慣れた東橋洞を離れた。
前日まで、ソウル新村(シンチョン)のセブランス病院の葬儀場につくられた殯所には、政・官・財界など各界関係者や市民など1万人あまりの弔問客が訪れ、李理事長を追悼した。