灰色に変色して垂れ下がっていたテントの代わりに、しっかりした木造の建物が建った。黄色いリボンの下、セウォル号の犠牲者304人の名前が壁一面を埋め尽くした。セウォル号のテントに比べてスペースは半分に減ったものの、展示室と市民参加スペース、案内スペース「真実に向き合う台(署名台)」も備わっている。展示室に設けられた白いろうそく台の形の「追悼棒」に触れると、白い照明がともった。先立った人々に一度でも触れたい家族の気持ちに着眼したインタラクティブ作品だ。光化門(クァンファムン)を行き来していた市民たちは「セウォル号以降は変わらなければなりません」という文章の前で立ち止まった。
セウォル号惨事5周期を4日後に控えた12日、ソウル光化門広場を守り続けていたセウォル号のテントが片づけられた場所に「記憶・安全展示スペース」が開館した。セウォル号のテントが2014年7月に初めて設置されて以来、4年9カ月がたった。セウォル号のテントは先月18日に撤去された。
光化門広場の南側で開かれた開館式には、朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長とセウォル号遺族、市民200人余りが参加した。朴市長は「つらい記憶を越え、二度とこの地にこのような災難と不誠実な国がないように誓う空間が必要だと考えた」とし、「今この場所からセウォル号のテントは消えたが、ここを空っぽにすることはできなかった。正常に作動する大韓民国政府が存在するために、この場所はずっと機能しなければならないと信じている」と述べた。
4・16セウォル号惨事家族協議会のキム・グァンベ事務処長は「(光化門広場に)市民と共にする開かれた記憶の空間をつくるということは、セウォル号を歪曲し消そうとする人々に市民の意思を伝える厳重な宣言」だと話した。4・16連帯のパク・レグン共同代表も「(光化門広場は)不正や不義が正常であるかのように思われている韓国社会を変える場所」とし、「(ここが)安全に向けた意志を固める場所になってほしい」と話した。
ソウル市のチョ・ヒヨン教育監は、未来の世代がこの記憶の空間に来て欲しいと強調した。チョ教育監は「(子どもたちが)この場所でセウォル号で犠牲になった生徒たちは自分の友だちだったということを感じなければならないと思う」と述べた。中小ベンチャー企業部のパク・ヨンソン長官は「セウォル号以前と以後の大韓民国として明確に区分される安全な国にすることに邁進しなければならないと誓う気持ちだ」と強調した。
ここ光化門広場では、13日午後7時には「4月16日の約束国民連帯」が開催するセウォル号惨事記憶文化祭が開催される。大韓愛国党は同じ場所で、朴槿恵(パク・クネ)大統領拘束満期無罪釈放のための総闘争を開くと予告している。