16歳の息子は難民の地位を認められた。しかし、保護者である父親はすぐ韓国を離れなければならないかも知れない。息子は宗教的信念を認められたが、父親はそうではないからだ。父親とともにイランから韓国に渡り、昨年10月に難民の地位を認められたキム・ミンヒョク君の話だ。
2003年、イランのテヘランで生まれたキム君は、2010年に事業家である父親について韓国に来た。小学校2年生の時の2011年から、友だちと一緒に教会に通い始めた。父親も2014年から教会に通った。英語の礼拝に参席し、教会に家族登録もした。キリスト教の洗礼を受けて改宗しようとしたが、年が幼いためできないと言われた。その後、一緒に暮らす友人たちと一緒に聖堂に通い、14歳の時の2017年に父親と一緒にカトリックの洗礼を受け公式に改宗した。
しかし、教会に通っていた時、イランに住む伯母に改宗の事実を話してから問題になった。ムスリムである伯母が怒って連絡を絶ったのだ。ムスリム律法「シャリーア」が厳格なイランでは、生まれた時からキリスト教やカトリック教徒の場合は異教徒にすぎず、命に危険はないが、改宗は背教者とされ、死刑に処せられる重罪だ。伯母がイラン安全部に告発するかを恐れたキム君は、父親とともに2016年に韓国政府に難民申請をした。しかしその年、法務部はこれを受け入れず、キム君父子は行政訴訟を起こした。キム君は1審で難民の地位を認められたが、2審と最高裁(大法院)は難民の地位を認めなかった。
2016年6月、ソウル出入国外国人庁はキム君に、満13歳と幼いためまだ宗教的価値観が明確に定立されたとは考えにくく、帰国時に直ちに逮捕され宗教的被害を受ける可能性は低いと見なした。しかし、キム君は再審査を請求し、約2年後の昨年10月、ついに難民認定を受けた。学校の友人が一肌脱いで取り組み、友好的な世論が起こったからだ。
しかし、キム君の父親が受けた難民不認定処分は変わらなかった。ソウル出入国外国人庁では、キム君の父親が改宗するしかなかった宗教的動機や信念をはっきり示すことができず、改宗宗教に対する基礎的理解と常識が足りず、真正性が疑われると述べた。キム君の父親は、ソウル出入国外国人庁の難民不認定審査結果に対し訴訟を起こしたが、昨年1月の1審と同じ年の12月、2審でいずれも敗訴した。これに対しキム君の父親は最高裁控訴の代わりに、難民地位再申請の方向に転換した。
19日午前、キム君はソウル陽川区(ヤンチョング)のソウル出入国外国人庁前で記者会見を開き、「父と僕は難民申請事由が同じなので、僕も認められたので父も認められるのではないかと思った」と言い、「何とか認めてもらい、父と一緒に暮らしたい。そうでなければ僕は韓国に一人残される。父以外には頼れる人がいない」と語った。キム君は続いて「出入国外国人庁は韓国語がうまくできない父に、祈祷文を暗唱し賛美歌も歌ってみろと言った。父は日常言語も(韓国語が)充分でない」とし、「しかし、父は教理の勉強するなど、1年以上かかる難しく大変な課程を経て洗礼を受けた」と説明した。
これに先立ち、ソウル出入国外国人庁は、キム君にも難民の地位認定審査の際、イエスの弟子12人の名前を言え、イエスを裏切った弟子は誰か、覚えている聖書の句節は何章何節か、さらに覚えている聖書の句節はないかなど、宗教的信念よりは宗教関連の知識を主に尋ねた。記者会見に同行した亜州中学校のオ・ヒョンロク教諭は「キム君の話が多数のアラブ圏メディアやAFP通信などを通じて紹介され、キム君の父に対する迫害の危険性が高まった。だから難民として認められるべきだ」と述べた。
難民法第37条1項には、「法務部長官は難民認定者の配偶者または未成年者の子女が入国を申請する場合、出入国管理法第11条に該当する場合でなければ、入国を許可しなければならない」と定めている。出入国管理法第11条には、感染病患者、麻薬中毒者、銃砲や刀剣を違法に所持し入国しようとする者、経済秩序または社会秩序を害する恐れがあると相当部分認めるだけの相当な理由がある外国人の入国を禁止すると書かれている。
キム君は「大きくなってハン・ヒョンミンさんのようなモデルになりたい。そのためには軍隊に行って国の力になりたい」と話した。キム君の父親はこの日午後1時、難民地位認定の再申請書を提出した。キム君の父親のビザが満了する日は今月27日だ。