青いプラスチック椅子には、ついに帰って来なかった生徒たちの名前が一つ一つ貼られていた。卒業を祝う花束と生徒証、卒業証書、卒業アルバムだけが持ち主のいない椅子にぽつんと置かれていた。子どもの名前が書かれた生徒証と卒業証書を見た多くの母親、父親は、椅子に崩れるように座り込んだ。あちこちで嗚咽をかろうじて飲み込む姿が見られた。
12日午前10時、京畿道安山(アンサン)の檀園高では、2014年4月16日にセウォル号惨事で亡くなった檀園高生徒250人のための名誉卒業式が開かれた。済州島(チェジュド)に修学旅行に発ってから1764日がたった。「黄色い鯨の夢になった私たちの子どもたちの名誉卒業式」という名前で進行されたこの日の行事は、生徒たちを悼む黙祷で始まった。続いてヤン・ドンヨン檀園高校長が「2年1組、コ・ヘイン」をはじまりに名誉卒業証書を受け取る生徒たちの名前を一人ひとり呼んだ。名前が呼ばれるたびに、椅子からは泣き声があふれた。
この日卒業証書を受け取った生徒は2014年の修学旅行に旅立った檀園高2年325人のうち、ついに帰って来られなかった生徒250人だ。生存学生75人は2016年1月12日に卒業した。犠牲になった生徒たちの名誉卒業式は「未収拾生徒の問題が解決されるまで先送りしてほしい」という遺族の要請で、その間開かれなかった。ついに収拾されなかった生徒もいる。セウォル号の船体を引き揚げたが、2年6組のナム・ヒョンチョル君とパク・ヨンイン君、教師のヤン・スンジンさんらは見つけられなかった。
名誉卒業式が開かれるまでの過程も順調ではなかった。これまでセウォル号の惨事を歪曲し蔑視した自由韓国党と保守政権、極右勢力に対抗した遺族たちは、子どもの名誉卒業式はもちろん檀園高教室の存続、追悼モニュメント、記憶空間の造成にまでも反対する人々に抵抗し、自ら守らなければならなかった。
2年7組チョン・チャンホ君の父親、チョン・ミョンソン「4・16セウォル号惨事家族協議会」元運営委員長はこの日「卒業式を受け入れるにはまだあまりに心が痛み、ますます切実に私たちの息子や娘に会いたい日」だと言い、「今日この席を通じて星になった私たちの息子や娘の犠牲を記憶して忘れないことをお願いする」と話した。
檀園高の在学生たちは、歌でセウォル号惨事で犠牲になった先輩たちを悼んだ。「私の写真の前で泣かないでください/そこにわたしはいません/眠ってなんかいません…」と、「千の風になって」を合唱し、あちこちから泣き声が聞こえた。事故当時、犠牲者の後輩だった卒業生のイ・ヒウンさんは「卒業生の手紙」で「学校で笑顔で接してくれた先輩たちがありがたく、会いたい。桜の花が満開の校庭でまた会いたい」と話した。式が終わっても遺族たちはしばらく席を離れることができなかった。