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仕事帰りに買い物・飲み会…街灯が灯ると、平壌の夜が目を覚ました

登録:2019-01-14 08:01 修正:2019-01-14 15:37
私たちが知りたい北朝鮮2 平壌の変化した夜の風景 
北朝鮮、電力難で停電が日常化 
金委員長が力を入れた「都市美化」で 
電力施設復旧し、街路灯つけたことで 
夜市と共に夜の文化が生まれる 
対北朝鮮制裁で石炭輸出が阻まれると 
各家庭が太陽光パネルで“自家発電”
平壌市牡丹峰区域凱旋門近くの「凱旋青年公園」前の売店で、市民たちが大同江ビールや龍城ビール、平壌酒などの酒と干しスケソウダラやソーセージ、お菓子類の簡単なつまみを添えて話を交わしている=ジン・チョンギュ統一TV代表提供//ハンギョレ新聞社

 「金正恩(キム・ジョンウン)時代」以前の北朝鮮の夜は“暗黒時代”だった。金正恩国務委員長は執権後、街灯をつけるよう指示した。真っ暗だった都市の夜が明るくなると、夜の文化が生まれ、人々の暮らしが変わった。夜市やレストラン、娯楽施設に人が集りはじめた。街灯の下で恋人や友達に会い、ご飯を食べて、お酒を飲んで、買い物をする。多くの北朝鮮住民にとって「生まれて初めて」のことだ。

 「私もそうだし、多くの脱北者たちにとって、北朝鮮での記憶は24時間停電の日常化だった。停電が続き、数カ月に一度電力が回復することもあった。夕方になるとやる事が何もなかった。このような暮らしをしていた人々にとって、金正恩が執権してから、電気を使える時間が長くなり、地方の小都市でも夜にカラオケやビリヤード場、娯楽機械場(ゲームセンター)がオープンし、平壌(ピョンヤン)ではボーリング場や卓球場も営業する。住民が暮らしがよくなることを体感し、期待するようになった」。脱北者出身の北朝鮮分断研究者のチュ・スンヒョン仁川大学教授はこう語った。

 最近平壌から来た20代の脱北者は「電力状況が良くなり、平壌市内では1日22~23時間は電気がつく。かつては街灯もなく、治安も悪くて、夜の街に人影が途絶えたが、金正恩時代以降、街灯もすべて灯り、夜は機動巡察隊が巡察して、明け方1~2時まで歩き回っても何ら問題もない」と変化した風景を伝えた。彼は「平壌市民の間で、金正恩への支持がかなり高い。『若い指導者だからか、やっぱり違う』と思った」と話した。

 金委員長は就任初期から「社会主義文明国」という目標を掲げ、都市美化事業を大々的に推進した。政権初期に現地視察に行き、公園で直接雑草を取って責任者を叱咤し、芝生研究所を作って芝生の品種改良を指示するほど情熱を注いだ。都市美化事業が本格化し、2014年頃から主要都市ごとに「1号道路」と呼ばれる主導路を中心に毎晩街灯がついた。夜が明るくなると、駅前に以前には想像もできなかった夜市が現れ、小さな荷車に携帯用の照明を設置し、品物を売る露天商たちの行列ができた。市場を回りながらおしゃべりもして、街でビールを飲んだり、街灯の光の下で話をしながらデートもする。

平壌市牡丹峰区域凱旋門付近の「凱旋青年公園」入口にある噴水台で、若者が清涼飲料水を飲んでデートしたり、スマートフォンを見ながら夜の時間を過ごしている=チン・チョンギュ統一TV代表提供//ハンギョレ新聞社

 街灯は暗鬱だった都市を“希望の国”へと変える光であり、“個人空間”の誕生を意味するものだった。統一研究院のホン・ミン北朝鮮研究室長はこうした変化について、「都市を美化するというレベルを超え、住民の日常生活を変える作業だった」と説明した。「以前は北朝鮮の人々の空間は組織や団体、職場などだけだった。個人的空間といっても青少年が堤防で密かにタバコを吸うというふうな秘密空間しかなかった」と話した。しかし「金正恩時代以降に登場した夜の物理的な空間を、住民たちは新しい日常文化を作る空間として活用し始めた。今や夜の街や市場、食堂で匿名性を持つ個人の空間が本格的に作られている。かつては職場や自宅、所属団体だけを行き来していた人々に日常の空間ができた」。

 “夜の変化”は、金正恩時代の電力事情の画期的な改善がなければ、不可能だった変化だ。

 1990年代半ば、金正日(キム・ジョンイル)時代には経済難が深刻になり、電力施設をはじめ、国営施設がほとんど崩壊した。ホン・ミン室長は「黄海製鉄所の施設をすべて取り出そうとする住民らに対し、当局がタンクを使って阻止したため、騒動が起きたこともあった。電力施設も壊れた。地方都市にあった中小型発電所はすべて放置され、修理する能力もインフラもなかった」と説明する。

 金正恩時代に入って市場化が進むと、国家も市場で稼いだ財源を電力復旧に投入した。国家が電力生産に多方面から関心を注いだ。朝中関係が回復し、中国が平壌付近に褐炭火力発電所を建設するなど、中国の支援が電力難の解消に役立ったという分析もある。北朝鮮への制裁で、石炭輸出が禁止されたことで、国内の火力発電に石炭を大量に投入したことも、逆説的に電力難の解消に役立った。

 「太陽光ブーム」も変化の主な動力だった。2008年の米国金融危機以降、世界の太陽光パネル価格が暴落したことで、中国企業が売れ残った太陽光パネルを北朝鮮に安値で売り始めたのがきっかけとなった。平壌市内ではほとんどの家が太陽光パネルを設置していると、脱北者や専門家らは証言する。チュ・スンヒョン教授は「最初は中国産を輸入したが、分解してみたら簡単に作れたため、今は北朝鮮内で太陽光パネルを生産する。経済事情の悪い家庭は太陽光パネルを1つ付けて、裕福な家庭はパネルを6つも設置する」と話した。

昨年6月、主体思想塔展望台から見た平壌の夜景。中央の全建物を緑色の照明で明らかにした建物が105階建ての「柳京ホテル」で、北朝鮮で最も高い建築物だ。左側の瓦屋根の建物は「人民大学習堂」で、右側のマンション団地が「倉田通り」の家だ=チン・チョンギュ統一TV代表提供//ハンギョレ新聞社

 結局、北朝鮮の電力難も“市場の発展”が解決策になったとみられる。ヤン・ムンス北韓大学院大学教授は「金正恩時代になっても、国が供給する電力はそれほど伸びなかったが、民間の自家発電が重要な役割を果たした」とし、「企業もバッテリーなどを輸入して自家発電を行っており、各家庭に太陽熱パネルが大幅に増えるなど、自前の電力生産が増えた。食べていく部分だけでなく、エネルギーも市場を通じて解決したといえる」と指摘した。

 1987年着工し、東欧圏の崩壊や苦難の行軍時期を経て、2011年に外装工事を終えた平壌市内の柳京(リュギョン)ホテルの外壁には、昨年から10万個以上のLED電球が設置され、毎晩絵やスローガンなどで、桑田碧海の平壌の夜を明かしている。

パク・ミンヒ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/878218.html韓国語原文入力:2019-01-13 20:45
訳H.J

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