慶煕大学の学生のク・ボンジュンさん(26)、オ・ユジンさん(20)、キム・ミンジュさん(19)とベトナム留学生のトゥビンさん(21)は、昨年春にある教養課程の授業を聞いて始めた「チームプレイ」の課題に1年半以上取り組んでいる。授業が終わっても彼らが終われずにいる課題は、ベトナム戦争当時の韓国軍民間人虐殺の実態を知らせ、被害者を慰労することだ。ク・ボンジュンさんは「ベトナムから留学に来たトゥビンと三人の韓国学生が意味をもってできる課題に悩んだ末、ベトナム戦争について詳しく調べることになった」とし、「課題をしながら感じた悩みとベトナムの被害者たちから直接聞いた話をもとに本を書いている」と話した。
昨年春、ベトナム戦争に関心を持った彼らは「韓国軍による民間人虐殺」という“不都合な真実”と対面した。ベトナム戦争当時、韓国軍はフォンニィ・フォンニャット村で74人、ハミ村で135人の命を奪ったと調査されたことがある。しかし、まだその真相は十分に明らかにされていない。大学入学後、日本軍「慰安婦」被害者支援活動をしてきたキム・ミンジュさんは「韓国軍の民間人虐殺の事実を知った時、大きなショックを受けた」とし、「慰安婦被害者支援活動をしながら日本に謝罪を要求してきたが、私たちも加害者であり、誰かに大きな被害を与えたという事実に気づき、ベトナムの人々に必ず謝罪の意思を伝えなければならないと考えた」と話した。
彼らは先月15日から20日までベトナムのフォンニィ・フォンニャット村とハミ村など、被害者たちが住む地域を直接訪れた。ハミ村で会った被害者のツォン・ティ・トゥさん(80)は、1968年1月に3人の子どものうち2人を先に亡くし、自分も右足を切られる被害を受けたと打ち明けた。当時通訳をしたトゥビンさんは「私もよく知らなかった事実を、今度はじめてちゃんと知った。被害者たちの話を聞いて理解した感情をグループのメンバーにそのまま伝えるのが本当に辛かった」と話した。
彼らは自分の活動がむしろ被害者たちの苦痛をさらに深めるのではないかと悩んだりもした。ク・ボンジュンさんは「被害者の一人が『あのことについて考えて怒って憎悪しても何も変わらない。辛くなるだけだ。だから、胸にしまいこんでおこうと思う』と話した」と伝えた。「被害者たちが、自分が生きている間に謝罪を受けられるか確信を持てないので、そんなふうに言っているように感じました。一人でその苦しみに耐えて解決しようとしているようで、胸が痛かった」(オ・ユジンさん)
挫折も経験した。彼らは春にベトナムのビンホア村にある「韓国軍憎悪の碑」の横に追悼碑を立てようとした。しかし、ベトナム政府の反対で取り消された。ソウルのトゥクソム漢江公園と慶煕大学でベトナム民間人虐殺被害者を扱った展示会も開いたが、関心を持つ人々は多くなかった。しかし、彼らは簡単にあきらめるようすでもない。オ・ユジンさんは「同じ失敗を繰り返さないためには、私と同じ若者たちが歴史をもっとよく知らなければならない」とし、今後も「ベトナムに謝罪する」方法を探し続けていくという意志を固めた。