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[インタビュー]記者出身のイエメン難民、韓国社会の質問に答える

登録:2018-07-03 06:47 修正:2018-07-03 07:16
写真家・小説家・記者として活動したイスマムさん、2016年12月に祖国を脱出  
なぜ男だけが来たのかという質問に「13歳過ぎたら戦場に連れて行かれる」 
「韓国社会の懸念十分に理解する…
我々の状況知れば理解するだろう」 
「難民がスマートフォンを持っているのがそんなに不思議なのか…
故国・家族とつながる手段」
イエメンで記者として活動したイスマム(仮名)さん=ホ・ホジュン記者//ハンギョレ新聞社

 「韓国社会の懸念を十分知っています。我々に対する韓国人たちの憂慮と反対の声をよく知っており、そのような意見を持つ韓国人たちを尊重しなければなりません。しかし、我々がなぜ韓国に来たのかを知れば、私たちを理解すると思います」

 30日深夜、イエメン難民申請者たちが集団で泊まっている済州市内のあるホテルで会ったイスマムさん(30、仮名)は真剣なまなざしでこう語った。内戦が始まる前、彼はイエメンの首都、サヌアのある新聞社で記者として働いていた。写真作家としても活動しており、すでに4冊の本を出した小説家でもある彼は、今年5月5日に難民申請のため、韓国の地を踏んだ。彼に韓国社会が難民に対して持っている懸念と反感について、率直に尋ねた。

ー韓国社会では難民を受け入れてはならないという声が高まっている。イエメン人は韓国人たちの反対と懸念を知っているか。

「韓国人らが我々に反対し、嫌悪するということを、ニュースを通じてよく知っている。韓国人たちは我々がなぜここに来たのかについてよく知らないようだ。我々はそのような意見を持つ韓国人たちを尊重する。韓国は韓国人たちの国であるため、(難民に対する)意見を述べる権利がある。しかし、我々がなぜここまで来ることになったのかを知れば、我々を理解すると信じている。我々は生き残るため、戦場から脱出した。韓国の難民制度のおかげで、こちらに来られてありがたく思っている」

ーなぜ、難民申請者たちのうち男性がはるかに多いのか。男性と女性の間に差別が存在するのではないかという疑問の声もあがっている。

「難民申請者の中には一人でイエメンから脱出した女性もいる。内戦が勃発した以降、反政府軍が一人でヒジャブをかぶって外出した女性を暴行するのを目撃した。これは深刻な問題だ。しかし、イスラム文化や我々(イエメン)の文化では、女性が一人で外出する権利があり、何の問題にもならない。一部の家は異なる制度を持っているが、これはその家の問題であって、イスラム文化(全体)の問題ではない。韓国でも家ごとに様々な慣習があるではないか。宗教の問題ではなく、家の問題だ。(イエメンでは)女性と男性すべて同等の権利を持っており、女性のための多くの団体が活動している。2011年にはイエメン出身の女性、タワックル・カルマン氏が民主主義と人権の向上に寄与した功労で、ノーベル平和賞を受賞したこともあった。我々には家族と共に旅行する文化がある。しかし、我々が韓国に来たのは旅行ではない。これは脱出であり、逃走である。生存のための逃走だ。今も逃走しているようなものだ。特に、戦時中に、女性と子どもたちと共に脱出できると思うか。まず、あなたが安全に脱出しなければ、家族も脱出できない。我々の文化では男性が家族を守らなければならない」

ー現在、イエメンでは自由が制限されているか。

「戦時中に自由を語るのは不可能だ。互いに戦っている状況では、自由はあり得ない。安全に過ごすためには、考えていることを心の奥にしまい込み、沈黙を守らなければならない。沈黙を守ったとしても、飢餓や燃料遮断、取り締まりなどによって殺害されるかもしれない。今、イエメンでは1300万人が飢餓の危険にさらされているものと見られる」

ー女性と子どもの状況について話してほしい。

「イエメンでは13歳を過ぎると戦場に連れて行かれる。まだ子どもなのに (彼はため息をつきながら首を横に振った)。正直、そのようなことは思い出したくない (彼は再び申し訳ないといいながら首を横に振った)。彼らは勉強しなければならない年だ。しかし、フーシ(Huthi)反政府軍は子どもたちを学校や道端で拉致した。北イエメンではこのような状況がさらに悪化した。南イエメンでも状況は似ている。あらゆる場所が生活しにくい状況にある」

イエメンで記者として活動したイスマム(仮名)さん=ホ・ホジュン記者//ハンギョレ新聞社

ー 一部の韓国人たちはイスラムが伝統的に女性に抑圧的で暴力だと言う。

「それはない。決してそうではない。(彼は「そうではない」を何度も繰り返した)。宗教は人間に平和や安全、権利をもたらした。女性と男性は同じだ。女性たちに抑圧的ですって? 決してそうではない。イスラムは平和な宗教であり、平和愛好的な宗教である。ただし、家の文化と制度などによって異なるところはある。女性たちは外でコーヒーを飲むことをはじめ、何だってできる。クラブを行くことも、運転することもできる」

ー実は、韓国人たちはイエメン人についてあまり知らない。

「(韓国では)イスラム世界を第3世界と呼ぶ。私はこのような概念がどこから来たのかは分からないが、アラブではこのような概念がなかった。我々は皆同じ地球に暮らしていると信じている。私はこの考え方の方が好きだ。今、我々が韓国にいるのも同じだ。イエメン人が最近、財布を拾って韓国警察に届け、持ち主に返した。そのような良いこともしている。まだ犯罪や問題を起こさないで生活している。我々は開放的な心を持っている。イエメンは良い国であり、戦争がなければ、脱出することもなかっただろう。しかし、現在のイエメンでは互いに戦っており、犯罪を犯している。戦場で死ななければ、道端でどこかで飛んできた銃弾に当たって死ぬことになるだろう。物流の中心地だったホデイダでは、多くの人が飢餓で死を余儀なくされている。そこに行ったら、骨と皮だけの人たちを目にするだろう。韓国人たちには、我々が生存のためにここに来たことを、少しは理解してほしいと思う。ここにいるイエメン人たちは、どうやって朝鮮戦争の後に平和を取り戻したのかを学びたいと思っている」

ー今韓国に来ているイエメン難民申請者たちについて話してほしい。

「私を含めて3人の元ジャーナリストがいる。大学で勉強した人々も多いが、すべてのイエメン人と話したわけではないため、個々人の状況については良く知らない。しかし、イエメン人たちの(学力)レベルや何を勉強したのか、何ができるのかを把握しようとしている」

ー 一部の韓国人たちは、イエメン難民申請者たちがイエメンから脱出を余儀なくされたのではなく、より良い雇用と福祉を求めて来た人たちだと思っている。このような見解についてどう思うか。

「そうではない(彼はこの質問に対して、断固とした表情を見せた)。最初から金の匙をくわえて生まれたなら、親が運営する会社で簡単に仕事を探せただろう。しかし、すべてのことをゼロからスタートするためには、本当に一生懸命に働かなければならない。どこで仕事をしようと大変なのは同じだ。記者であるあなたが今私と会話を交わしており、何らかの記事にするだろうが、多くのストレスを溜め込んでいるだろう。簡単な仕事なんてない。実際、多くのイエメン人たちが漁船に乗ることに失敗したが、慣れない仕事であるからだ。我々は難民であって、奴隷ではないという歌を作りたい。戦争がこのような状況をもたらした。

ー難民たちが新しい国に定着し、他の文化と同化される方が良いのか、それとも難民の共同体で彼らの文化を維持する方が良いと思うか。

「イラクやシリア、イエメンなど中東諸国には歴史がある。彼らはある国から他の国に行けば団体で生活する。韓国や日本、中国なども同じだ。米国にはコリアタウンがあり、全世界にチャイナタウンがある。互いを理解し、助け合っている。我々が韓国に初めて来た時は、人も場所もわからなかったし、働き口もなかった。今は多くのイエメン人が仕事を見つけてそれぞれ自立している。しかし、互いに連絡し、安否を聞くなど連絡はしている。これは連結の輪であって、難民共同体ではない。ただのつながりに過ぎない」

ーイエメン難民申請者たちがスマートフォンを所持していることを不思議に思う人たちもいる。

「ははは(彼は呆れた表情を浮かべながら笑った)。そんなことを言う人たちは、我々が16世紀に生きていると思っているようだ。中国人に感謝していると伝えてほしい。以前、イエメンではノキアのスマートフォンを使っていたが、かなり高い。しかし、時代が変わった。ギャラクシーノート8を持っているなら、そんなふうに言われても仕方がないかもしれないが、我々が持ったスマートフォンは100~200ドルのものだ。通信速度は遅いが、インターネットでイエメン社会の情報を得られる。家族とも連絡することもできる」

ーこれまで経験した韓国はどんな国なのか。

「すばらしい国だ (彼はためらうことなく、何度も繰り返した)。韓国に初めて来た時、21世紀に来たと実感した。ごみを分別する姿を見て、驚いた。現代式の考え方だ。韓国人たちを尊敬する。イエメンでも若者が大学に入って熱心に勉強している。開放的で、未来を変えられるという夢を見始めたが、戦争がすべてを壊した」

イエメンでは、政府が崩壊した2014年、20社以上の報道機関が閉鎖し、イスマムさんが勤めていた新聞社は2015年3月に本格的な内戦が始まるまでさらに4カ月間持ちこたえた。フーシ反政府軍は内戦の開始と共に、すべてを統制した。多くのジャーナリストたちが拉致され、彼と家族のように親しかった同僚の記者も拉致されて、まだ生死がわからない。彼は「真実を言ったら政府との反乱軍の両方から脅された。フーシは自分側に加担しない人たちは敵として扱った」と話した。彼は二回、反乱軍側から脅された。2015年に新聞ではなく、フェイスブックに文を掲載したが、これを口実に、誰かから弟を戦場に連れていかれたくなかったら沈黙を守るよう脅迫された。二回目は直接、殺害するか誘拐すると脅された。命の危険を感じたイスマムさんは家を出て、1年6カ月ほど隠れて暮らした後、2016年12月にイエメンを脱出した。

済州/ホ・ホジュン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/area/851532.html韓国語原文入力:2018-07-02 16:38
訳H.J