24日、金鍾泌(キム・ジョンピル)元首相の葬儀室を、パク・ジマンEG会長と彼の夫人ソ・ヒャンヒ弁護士が訪ね弔問した。パク会長は、朴正煕元大統領の息子であり、現在拘束収監されている朴槿恵(パク・クネ)前大統領の弟だ。金元首相は、朴正煕元大統領一家と親戚関係であるのに加え「朴正煕執権体制」で共にした政治的同志だった。だが、金元首相は生前に朴正煕元大統領一家と“愛憎関係”で絡まっていたことでも有名だ。
1950年朝鮮戦争当時、金鍾泌少尉は陸軍情報局で朴正煕中佐と共に勤めた。金少尉は大邱(テグ)に駐留していた部隊に“朴中佐”を訪ねてきたパク・ヨンオクさんと初めて会った。パクさんは朴正煕中佐の三番目の兄の娘だった。金少尉はパクさんと1951年2月に大邱で結婚し、朴正煕中佐の姪の婿になった。姻戚になった朴正煕と金鍾泌は、1961年の5・16クーデターの同志になり、金鍾泌は「朴正煕執権体制」で首相を務め、「政権のNO.2」になった。しかし、クーデターで政権を簒奪した朴正煕元大統領は、同じやり方で権力を失うことを心配し、金元首相を疑うなど警戒していたと伝えられている。
金鍾泌元首相は、自身の政治的地位が大きく低下した後、自身を遠ざけた朴槿恵(パク・クネ)前大統領に対して公開的に遺憾の思いを吐露しもした。金元首相は2016年11月、時事週刊誌「時事ジャーナル」とのインタビューで「(朴槿恵前大統領が)実際頼って助ける人は自分しかいないはずなのに」諮問を求められたことが一度もないと明らかにした。特に弾劾事態に追い込まれた朴前大統領に対して「誰が何と言おうが効果がない。5000万の国民が集まって下野しろ、お前が何の大統領かと言っても、そこに居座るだろう。そんな意地っ張りだ」と苦言を呈しもした。彼の予想通り、朴前大統領は2017年3月10日、憲法裁判所の弾劾決定で大統領職から退き、同月31日に拘束された。
朴正煕元大統領一家に代わって弔問したパク・ジマン会長は、この日弔問した後、口を閉ざして葬儀室を後にした。