「今日はじめて朝鮮戦争が終わっているという実感がわきました。日帝時代には植民支配が永遠に続くばかりのようで暗鬱としたこともありますが、実際この馬鹿げた戦争は必ず終わり、朝鮮半島に平和の日が来ると信じて一度も疑ったことがありませぬ」
朝鮮戦争から68年ぶりに朝米首脳の握手の瞬間を見守った在日統一運動家のチョン・ギョンモ氏の声は、電話の向こうで震えていた。今年94歳の高齢である彼は、1951~53年に連合国側の通訳として板門店(パンムンジョム)で行われた南北休戦会談を直接参観した唯一の生存者として、誰よりも感慨に浸らざるを得ないからだ。
「私が米国留学中に呼び出しを受け、東京のマッカーサー司令部に出勤したのが50年10月下旬頃で、翌年10月の休戦会談が始まった後、板門店に派遣されました。当時、人民軍代表は南日(ナム・イル)大将、中国軍代表はトウ華大将、そして国連軍代表はジョイ海軍中将だったが、韓国軍は李承晩(イ・スンマン)大統領が休戦会談自体を反対していたため、オブザーバーと連絡将校がそれぞれ1人ずつ出席しているのが実情でした。双方の協議は休戦ラインの設定と捕虜の交換問題だった関係で、私は米軍と中国軍の測量技術者たちがコンパスと三角定規で朝鮮半島を南北に分ける作業現場を数回目撃せざるを得なかったのですが、祖国の大地が二つに分けられるその光景はまるで肉親の誰かが生体解剖される場面を目撃するようで、胸が痛み、つらい思いをしました」
2009年にハンギョレに連載した回顧録『道を探して』で、チョン氏が直接書いた休戦会談の通訳官派遣時の証言だ。彼は「西洋中世史で英国・フランスの『100年戦争』を最も長くしぶとい戦争の例に挙げているが、今日朝鮮半島の地で朝米間の角逐は70年間も続いたので、もう終わるときが来た」と断言した。
「朝鮮半島の戦争と対立の終息はほかでもなく私の生涯の課題だった」という彼は、「休戦の目撃者である私が生きているうちに終戦の日を見守れたので、長生きした甲斐があったと感じる」とした。
4・27南北首脳会談の時から対外に公式に登場した金正恩(キム・ジョンウン)の姿を注意深く見守ったというチョン氏は「89年3月、文益煥(ムン・イクファン)牧師とともに北朝鮮を訪問したときに会った祖父の金日成(キム・イルソン)の豪放な風貌に大変似ており、年齢が若いにもかかわらず堂々とした度胸が感じられた」と話した。