1980年5・18光州(クァンジュ)民主化運動が起きた時、クォン・スンヒョン氏は慶北大歴史教育科の80年度新入生だった。彼は大邱(テグ)で先輩たちと共に5・18の真実を知らせる印刷物を作り配布した。その過程で警察の対共分室に連行され拷問にあい、その後遺症で精神疾患を起こした。彼は今年3月、月額10万ウォン(約1万円)の借家で一人亡くなっているのを発見された。
3月17日、亡くなったクォン氏を発見した人は家主だった。葬儀はひっそりと行われた。クォン氏の兄(61)が弟の死を国家報勲処に知らせた。2002年5・18有功者(精神遅滞2級負傷者)と認められたクォン氏の寂しい死はそんなふうに知らされた。
クォン氏は、1980年7月には全斗煥(チョン・ドゥファン)政権退陣などを要求してデモをして、大学から無期停学処分を受けた。その年の11月には対共分室に連行され、1981年4月には軍に強制徴集された。軍でも保安隊に引っ張り回され常習暴行にあった。相次ぐ拷問と暴行のために精神異常症状が悪化すると、1983年6月結局病気のために除隊した。母親はクォン氏を病院に連れていき、巫女を呼んで祈祷もしたが、病状は良くならなかった。息子の回復を望んだ母親は、2014年7月に亡くなった。クォン氏は1984年3月、大学に復学したが精神異常症状で休学と復学を繰り返し、1992年3月に除籍された。
クォン氏は、大邱東区の古い住宅を借りて一人で暮らした。結婚と職場生活の機会は閉ざされていた。お金が必要になると、時々職業斡旋所に出かけて行って金を稼いだ。隣人たちはクォン氏を「話すこともなく、夏でもドアを閉ざして閉じこもっていたが、優しそうに見えた」と記憶した。クォン氏は、隣人と交流しなかった。クォン氏の兄が時々訪ねてきたが「会いたくない」と言ってドアを開けない時もあった。クォン氏は一人で部屋に閉じこもり詩を書いていたという。光州による傷を抱いて、大邱で暮らす人生は孤独だった。
「弟が拷問にあって解放された以後、私服警察官が私たち家族を監視していた。数十年を大邱でひっそりと生きた。その間、家族がとても苦労しながら暮らした。5・18のことも言いたくない」。クォン氏の兄は17日、ハンギョレとの電話通話でこう話した。
「(大邱)市内一円に光州虐殺関連印刷物散布。イ・ユンギ、イ・サンスル、クォン・スンヒョンたちが拷問捜査を受ける」。彼の熱かったが苦痛だった人生は、2006年慶北大人文科学研究所が出した『大邱地域学生運動の発生と展開』という本の中の一行に記録された。