たった一回の臨時運行を最後に記憶から消えた東海(トンヘ)線が、11年ぶりに再び注目されている。南北の首脳が板門店(パンムンジョム)宣言を通じて東海線と京義(キョンウィ)線鉄道と道路を連結し、現代化して活用するための実践的対策を推進することにしたためだ。
2006年の南北合意で、高城(コソン)に猪津(チェジン)駅(東海線鉄道南北出入り事務所)が設置された。当時政府は、猪津駅から軍事境界線までの7キロメートルに鉄道を敷き、北側に残っていた東海線と連結した。2007年5月には北朝鮮の列車が金剛山(クムガンサン)~猪津区間を1回試験運行した。しかし、2008年7月に金剛山観光客襲撃死亡事件で東海線鉄道は事実上閉鎖された。ここにあった客車と機関車もすべて撤収し、忘れられた駅舎になった。
東海線は日帝が資源収奪を目的に咸鏡南道安辺(アンビョン)から江原道襄陽(ヤンヤン)までの192.6キロメートル区間に建設した鉄道だ。釜山まで建設する予定だったが、朝鮮戦争で1951年6月に運行が全面中断された。その後、南側では1965年の束草(ソクチョ)~干城(カンソン)区間に続き、1967年には束草~襄陽区間も廃止された。
東海線が注目される理由は、釜山から北朝鮮とロシアを経てヨーロッパに連結できる最適な路線と評価されているためだ。キム・ジェジン江原研究院研究委員は「東海線はシベリア横断鉄道(TSR)と朝鮮半島縦断鉄道(TKR)を連結する路線のうち、貨物の積み替え回数と通関手続きが少なく、最も経済的だ。北朝鮮が推進する元山(ウォンサン)観光特区と元山・咸興(ハムン)・金策(キムチェク)・清津(チョンジン)工業地区、羅津(ナジン)・先鋒(ソンボン)経済特区を通過するという強みもある」と話した。
猪津駅を管理する統一部関係者は「南北関係の梗塞で、竣工以来鉄道事務所の建物は一度もまともに使われたことがない。南北首脳会談で東海線鉄道の連結が直接言及されたので、猪津駅で列車に乗って北朝鮮に行くことができる日が来るだろう。古い施設も補修する予定」と期待感を示した。