30日午後、大統領府与民1館3階の小会議室。文大統領が隣の執務室から姿を見せると、首席・補佐官会議の参席者から歓声と拍手があふれた。文大統領は照れくさそうに笑って「誰が仕組んだのですか?とにかくまあ気分は良いですね」と答えて一緒に拍手した。
南北首脳会談後、初めて開かれたこの日の会議の主題は、首脳会談の成果と後続措置の議論だったが、参謀たちは質問したくてうずうずしていた。会議途中、質問が殺到した。参謀の質問攻勢に、文大統領は首脳会談の多くの裏話を披露した。
文大統領は「金正恩(キム・ジョンウン)北朝鮮国務委員長の印象はどうだったか」という質問に「率直淡泊で礼儀正しかった」と答えた。これに関してチュ・ヨンフン警護処長は「文大統領と金委員長夫妻がエレベーターに乗って晩餐会場に上がろうとした時、金委員長が文大統領に先に乗るように手ぶりをし、李雪主(リ・ソルジュ)女史が乗ろうとすると、そっと手をおさえ、キム・ジョンスク女史が先に乗るよう配慮した」と付け加えた。文大統領は1953年生まれで、金委員長は1984年生まれ、文大統領が31歳年長だ。
全世界に無音で生中継された金委員長との徒歩橋ベンチ密談に関し、文大統領は「徒歩橋散歩で対話した時には、対話だけに集中していて景色を見ることはできなかったが、会談後に大統領府に戻ってきて放送を見たところ、とても良くて驚いたよ」として「鳥の声が聞こえる場面が本当に見栄えが良かった。こんなに良い所だとは思わなかった」として爆笑を誘った。彼は「悪いことも常に悪いとは限らない。非武装地帯をうまく保存すれば、結果的に私たちにとって大きな資産となって帰ってくるだろう」と付け加えた。ある大統領府関係者は「徒歩橋では主に朝米首脳会談を控えて金委員長が質問して文大統領が答えていたという」と伝えた。
文大統領は金委員長とのホットラインに関して“愚問賢答”を交わした話も伝えたという。会談途中、金委員長が「この電話は本当にいつでもかければ受けられるのか?」と“無邪気な”質問を投じると、文大統領は「それはない。互いにあらかじめ実務者が約束を取っておき、電話をかけて受けることになっている」と答えたと大統領府関係者が伝えた。
バスケットボールのファンであることで有名な金委員長が、南北スポーツ交流をバスケットボールから始めようと提案をしたという事実も話した。金委員長は米国のプロバスケットスターのデニス・ロッドマンを招請して、何度もバスケットボール競技を観戦したことがある。文大統領は「金委員長が南北スポーツ交流をするならば、京平(ソウル-平壌)サッカーより、バスケットボールからしよう」として「かつて世界最長身だったリ・ミョンフン選手(235センチ)がいた時には私たちが強かったが、引退してから弱くなった。もう韓国の相手にはならないようだ。韓国には2メートルを超える選手が多いですか?」とも尋ねたと話した。
板門店(パンムンジョム)の軍事境界線上の「ソテギル(牛の道)」で行った記念植樹で使われた白頭山(ペクトゥサン)の土のエピソードも語った。文大統領は、キム・チャンソン北朝鮮国務委員会部長に聞いたとして「白頭山は火山灰に覆われていて、白頭橋から将軍峰(チャングンボン)までは土がなく、山岳地帯で育つ草であるマンギョン草を抜いて、その根についた土をはたいて集めて持ってきたものだと聞いた。単にシャベルで掘って持ってきたのではなく、誠意がこもった土だと聞いた」と伝えた。イム・ジョンソク秘書室長は、北朝鮮の平壌時間の修正に関し「誰かがあらかじめ準備していたのではないか」というある参謀の問いに「その場に金与正(キム・ヨジョン)労働党第1副部長と一緒にいたが、金副部長も『私も今初めて聞きました』と言っていた」と説明した。
一方、文大統領は首席・補佐官会議の途中で故金大中(キム・デジュン)元大統領の夫人イ・ヒホ女史が「大きな仕事をなさった。ノーベル平和賞をもらって下さい」という祝電を送ってきたという報告を聞くと、「ノーベル賞はドナルド・トランプ米大統領が貰えばよく、私たちには“平和”だけあれば十分」と話したとある大統領府関係者は伝えた。
一方、この日チョ・ミョンギュン統一部長官は、国会でチュ・ミエ共に民主党代表に会い、南北首脳会談の結果を報告し「金委員長が『武力の使用は自分の手で自分の目を刺すことではないかと文大統領に不可侵を確約した」と伝えた。金委員長は「見せるための(朝米)対話をするつもりはない」と話したという。チョ長官はまた「南北首脳が開城(ケソン)に南北連絡事務所を設置することで合意したこと以外に、文大統領が『ソウルと平壌に連絡事務所を設置する問題も継続協議しよう』と提案した」と伝えた。