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[ルポ]休戦交渉765回開かれた板門店、「終戦」を待つ

登録:2018-04-20 06:09 修正:2018-04-20 18:20
「平和の春」迎えた板門店 
 
木浦~新義州結ぶ1番国道で 
黄色いタンポポが覆ったあぜ道を過ぎ 
一面空色の板門店に到着 
 
休戦交渉当時、酒場だったところ 
幅50センチ・高さ5センチのコンクリートのブロックが 
南北を65年間引き裂いた 
 
両首脳が1週間後に握手する 
平和の家はいま工事の最中 
分断が始まったところに春が到来
南北首脳会談を一週間後に控えた18日午前、京畿道坡州市板門店内の共同警備区域で南側の軍人の向こう側で北側の軍人が勤務交代をしている=板門店/大統領府写真記者団//ハンギョレ新聞社

 18日、板門店(パンムンジョム)に向かう道は春本番だった。暖かい春の日差しを受けた桜の木は白い花を咲かせていた。軍事分界線南側の非武装地帯にある大城洞(テソンドン)自由の村の住民たちが農業を営む水田の畦は、黄色いタンポポで覆われていた。

 共同警備区域(JSA)内にある板門店への進入道路は1番国道だ。全羅南道木浦(モッポ)から始まるこの国道は、ソウルと開城(ケソン)、平壌(ピョンヤン)、新義州(シンウィジュ)を結ぶ。目の前にあるが、これ以上進めない道だ。韓国軍と在韓米軍の合同兵営であるキャンプ・ボニファスを出発したバスは、10分足らずで板門店に着いた。約2.4キロの距離だ。ボニファスという部隊名は、1976年のポプラ事件当時亡くなった在韓米軍大尉アーサー・ボニファスから名前を取った。ポプラ事件は、文在寅(ムン・ジェイン)大統領とも関係がある。当時、大統領の所属部隊は事件後、板門店南側の警戒所の視野を邪魔するポプラの木を切る作戦を遂行した。

南北首脳会談D-7両首脳どのように会うか//ハンギョレ新聞社

 板門店の色は空色だ。あちこちにここを管轄する国連軍司令部を象徴する水色の看板が立ち並んでいる。軍事境界線の上に建てられた中立国監督委員会会議室や軍事休戦委員会本会議室、軍事停戦委員会小会議室の建物も水色だ。

 板門店は広くない。東西に800メートル、南北に400メートルに過ぎない。軍事境界線の南側には自由の家と平和の家が、北側には板門閣と統一閣が対をなして建てられている。

 板門店の旧名はノルムン里だ。共同警備区域の安保見学官はその由来をこう説明する。「板門店はもともとノルムン里という名前の小さく静かな村だった。6・25戦争当時、休戦会談場所だった開城(ケソン)のネボンジャン付近が頻繁な戦闘で危険だったことを受け、1951年9月6日、会談場所をノルムン里に移した。その時、中国共産軍代表たちが会議場を簡単に見つけられるよう、周辺の酒場に『板門店』と書かれた看板をかけておいたが、それが板門店という名称の由来となった。板門店の板はノルムン里のノルを、店は酒場を意味する」

 板門店には南北の分断と会談の記憶が刻まれている。韓国戦争当時、今の共同警備区域から北側に1キロメートル離れた所に張ったテントで始まった休戦交渉は、765回も開かれた。以降、これまで南北は1971年の南北赤十字派遣員第1次接触を皮切りに、ここで369回の大小の会談を開いてきた。

 4月27日に南北首脳会談が行われる南側の平和の家では、最後の工事が行われていた。軍事境界線からおよそ約300メートルの距離にあり、昨年11月に脱北した北朝鮮兵士オ・チョンソン氏が北朝鮮軍の銃撃を受けて倒れたところから、わずか200メートルほどの距離だ。建物の正門には臨時の青いついたてが設置されている。作業はほぼ終わったようで、2,3人ほどの作業者たちがいるだけだ。

 平和の家は1998年の南北間の連絡業務のため建てられた4階建ての建物だ。主要軍事会談と政治・経済・体育会談の場所として使われてきた。1階にはロビーや記者室、便宜施設が、2階には会議室や事務室、待合室がある。3階には南北連絡事務所や南北赤十字連絡事務所、大会議室があり、4階には展望台と多目的空間がある。ここには南北間を結ぶ直通電話が設置されている。文在寅大統領と北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長の歴史的な南北首脳会談は2階で行われる。昼食と夕食もこの建物で行われるものとみられる。

 平和の家で100メートルほど離れた自由の家の前に立ってみると、会談当日の金国務委員長の動線を推測できる。自由の家の前から約5メートル前が軍事境界線だ。南北を隔てる線には鉄条網も壁もない。幅50センチ、高さ5センチのコンクリートのブロックだけだ。この上に臨時の建物である中立国監督委員会会議室や軍事停戦委員会本会議室、軍事停戦委員会小会議室が位置する。3つの青い色の建物の間には2本の通路がある。幅が3メートル程度で、成人の三人が並んで歩けそうな広さだ。通路の北側には砂が、南側には砂利が敷かれている。金委員長が歩いて訪韓するなら、コンクリートの境界線を越えてこの道を通過するだろう。客を迎える文大統領もまたそこで彼の手を握るだろう。世界の耳目が集まる空間だ。南と北は18日の第2回儀典・警護・報道の実務会談で、両首脳が初めて握手する瞬間から、主要日程や行事を生放送で全世界に知らせることで合意した。

 金委員会が徒歩ではなく車で移動する場合は、軍事停戦委員会小会議室横の道を通ることになるだろう。1998年6月、故チョン・ジュヨン現代グループ名誉会長が牛500頭と共に訪朝した道だ。現在、この道はあちこち雑草が生い茂る舗装されていない道だ。前には出入りを統制する遮断棒が設置されている。大統領府関係者は「まだ金委員長がどのように軍事境界線を越えるかは決まっていない」と話した。

南北首脳会談を一週間後に控えた今月18日午前、京畿道坡州板門店の平和の家で整備作業が行われている=キム・ギョンホ先任記者//ハンギョレ新聞社

 一週間後には、67年前の停戦会談が開かれていた板門店が、南北の終戦交渉を含めた恒久的平和体制について協議する場として生まれ変わることになる。イム・ジョンソク南北首脳会談準備委員長は17日、「今回の南北首脳会談で、南北首脳間の板門店会談を定着させるのが政府の重要な議題」だとし、「今回の板門店での南北首脳会談が南北関係を超え、朝米問題の解決のきっかけとなり、朝米会談場所になれば、マルタ会談よりさらに象徴的な会談に発展できると思う」と述べた。1989年、米ソ首脳が会って、冷戦終息の礎を築いた地中海のマルタに匹敵するほど、板門店が世界史の流れを変えた象徴的な場所になるという願いと期待をにじませた。

 昨冬、厳しい寒さを耐えた板門店にも春が訪れた。分断の苦しみが始まった板門店が平和の場として生まれ変わるにはぴったりの季節だ。これから一週間後には平和の家の扉が開かれる。

板門店/ソン・ヨンチョル記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/bluehouse/841288.html韓国語原文入力:2018-04-19 23:10
訳H.J

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