セウォル号惨事4周忌を翌日に控えた15日、木浦(モッポ)新港には追悼客2500人あまりが集まった。追悼客らは黄色いリボンが弔いの旗のようにはためいている埠頭内に入り、「あんなに大きな船が倒れて折れたんだ」と嘆いた。船体100メートル前で止まった人々は、さびた船尾の甲板とまだ鮮明な清海鎭(海運)のロゴを見上げ、当時の痛みを思い浮かべた。追悼客のキム・ヒジンさん(50・慶尚北道浦項)は「これからはあの船を『国家の義務』を思い返す象徴にしよう」と提案した。
セウォル号の惨事は、国家が国民を保護する義務を放置した場合、どのような悲劇が起こる可能性があるのかを見せつける象徴だった。そのため、あの惨事を一つ残らず見せる現場である船体をどう処理するのかに関心が集まっている。
船体調査委員会(船調委)は2月、未収拾者の追加捜索と事故の原因の精密調査のために船体をまっすぐに立てる(直立)作業に入った。船体は埠頭の60メール内側に水平方向に移され、後で船体を支える左舷側と船底側の支え台(リフティングビーム)33個を連結する工事を終えた。5月31日には1万トン級の海上クレーンを動員し、船体をまっすぐに立てる。船調委は6月中に船体の処理計画を立て、7月までに家族・国民に報告し、活動期限である8月6日までに総合報告書に書き込む予定だ。
船体処理案には、空間活用案▽保存範囲▽保存場所▽投入予算などを含めなければならない。まず船体を今後どのように活用するかが議論の出発点だ。概ね記憶・追悼・治癒・教育などに意見が集められ、大きな意見の違いや争点はない。今まで提示された意見では、国民安全教育館、セウォル号治癒センター、犠牲者追悼空間などがある。
保存の範囲をめぐってはさまざまな案が出ている。補強し原形復元・保存▽客室など部分保存▽錨・船首など象徴物の保存▽溶かして新しい形で保存などだ。活用案、構造補強、移動方法が絡み合っており、国民の合意に至るまでは激論が予想される。
保存場所は、木浦(モッポ)、安山(アンサン)、珍島(チンド)、仁川(インチョン)、済州(チェジュ)など5カ所が挙げられている。住民の世論と費用などが影響し、地方選挙を控えて決定が難しい場合もある。珍島郡は3月に公聴会を開くなど、素早く動いた。珍島郡では現場性、象徴性を生かすことができるという賛成論と、地域の印象が暗くなるという反対論が対立した。木浦市が同じ時期に市民社会団体の意見を聞いたところ、木浦に保存することを希望するという意見が半数を超えた。一方、安山市は追悼公園の造成すら容易でないのが現実だとし、否定的な反応を見せた。仁川と済州では議論がまだ水面下にある。セウォル号は長さ148メートル、幅22メートルの大型旅客船だ。
チョン・ソンウク4・16家族協議会船体引き揚げ分科委員長は「船調委の案が出たら、立場を公表する。私たちの原則は今まで変わったことはなく、国民全てがこれを知っているのではないか」と話した。4・16家族協議会はこれまで「引き揚げられたセウォル号の原型を保存し、記憶と追悼の空間にしなければならない」と主張してきた
キム・ヒョンウク船調委対外協力官は「どこに、どれくらい保存するかよりは、その空間の中にどんな内容を盛り込むのかに焦点を合わせようと思う。船調委が決定することはできないため、大統領と国会に処理案を建議しようとしている」と説明した。
船調委は4月まで船体処理案を用意する計画だったが、1月に発注した委託研究の結果が遅れ、予定より滞っている。20日頃に報告を受けて船調委案を作った後、遺族との協議、地方政府との論議、国民世論調査などを行う予定だ。