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判決文のない済州4・3軍事裁判…「受刑人名簿」の認否が争点

登録:2018-03-23 20:05 修正:2018-03-24 08:19
済州4・3事件の受刑人再審請求
当時の軍事裁判、法的手続きなしに進行
1999年国家記録院で名簿が見つかり
総2530人の氏名・住所・判決など記録

済州地裁、最近再審関連証人尋問
「名簿、当時の裁判立証資料」との陳述あり
済州4・3事件の受刑人が済州地裁刑事2部で19日午後2時に開かれた再審請求事件尋問期日に出席する前、裁判所前で記者会見を行っている=済州/キム・ミンギョン記者//ハンギョレ新聞社

 済州4・3当時、軍事裁判(高等軍法会議)で懲役刑を宣告されて刑務所に収監された受刑人たちが提起した再審請求の最大の障害物は、判決文がないという点である。

 「有罪の確定判決」を再度判断してほしいという再審請求には原審判決文がなければならないのだが、法的手続きを守らなかった軍事裁判は判決文も作成しなかった。 したがって唯一の公式記録である「受刑人名簿」で当時の裁判と判決を立証することができるのかが、再審開始可否の核心争点である。

1999年に公開された済州4・3事件関連受刑人名簿の表紙=済州4・3真相究明と名誉回復のための道民連帯提供//ハンギョレ新聞社

 済州地裁刑事2部(裁判長チェガル・チャン)は19日済州4・3関連受刑人の再審請求に対する第2回審問期日を開き、受刑人名簿などと関連して「済州4・3事件真相究明及び犠牲者名誉回復委員会」のキム・ジョンミン元専門委員に対する証人尋問を行なった。

 済州4・3関連受刑人は1948年12月と1949年7月、法的手続きを守らずに行なわれた軍事裁判を経て仁川(インチョン)・大田(テジョン)・大邱(テグ)など全国の刑務所14カ所に分散収監された人々だ。 4・3受刑人に関しては証言だけが伝えられてきたが、1999年チュ・ミエ当時新政治国民会議議員が政府記録保存所(現国家記録院)で入手した受刑人名簿を公開して初めて公式に確認された。受刑人名簿には、1948年12月に開かれた軍事裁判で刑法第77条の内乱罪により処罰された871人と1949年7月に開かれた軍事裁判で国防警備法第33条のスパイ罪などにより処罰された1659人、計2530人の氏名、住所、判決、宣告の日付、刑務所などが書かれている。

 証人として出席したキム元委員は先ず「1948年と1949年に開かれた軍法会議は法の決めた正常な手続きを踏んだ裁判と見なすことができない」と明らかにした。次いで、受刑人名簿について「軍が撤収して済州地方検察庁に渡され、検察庁が保管する理由もなく破棄するわけにもいかず政府記録保存所に移管させて保管されたものと考えられる」とした上で「受刑人名簿に記載された2530人のうち一部名前や本籍地が合わないケースもあるが大部分実際の証言と一致するので、当時裁判が存在したことを示す資料(と見られる)」と述べた。

 裁判部はこれに先立ち2月に開かれた第1回審問期日で「一部の学者は受刑人名簿が事後に操作されたと主張している。この受刑人名簿を根拠に再審請求が可能なのかという問題がある」と指摘している。 済州4・3受刑人の原審判決文はどの国家機関も保管しておらず、判決文がない理由も明確でない。 当時の軍事裁判が基本的な裁判手続きも守らず判決文も初めから作成されなかったのだろうという推定が出ている。 このような状況で裁判部が受刑人名簿の信憑性を認めた場合、当時軍事裁判が開かれたと判断する可能性は大きくなる。

 一方、パク・サンギ法務部長官は2月7日国会の対政府質問で4・3軍事裁判と関連して「受刑人名簿は存在するのに適法な手続きを経て軍事裁判が行われたものとは見られない。正常な裁判と見なすことができない」と答弁している。 軍事裁判は開かれたが、適法な手続きを踏まなかったということだ。 これに対し請求人側では、裁判の形式すら備えていない軍事裁判により苦痛を受けた4・3受刑人に再度裁判を受ける機会が与えられねばならないと主張している。

済州/キム・ミンギョン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)

韓国語原文入力:2018-03-20 18:55

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/836962.html 訳A.K

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