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ポスコ建設の元チーム長「道谷洞の土地はMBの所有なので無条件に買えと言われた」

登録:2018-02-01 00:11 修正:2018-02-01 07:26
1995年、売買実務に従事したポスコ建設元チーム長 
「言い値で買えという上部の指示受け計画樹立 
迎浦ビルディングで会ったキム・ジェジョン氏 
265億ウォンと言われ駆け引きはせず 
その場でキム氏がMBの著書『神話はない』一冊ずつ配る 
検察でも『道谷洞の土地はMBの所有と理解している』陳述」
2007年8月16日、ハンナラ党釜山市党で開かれた救国・救党決起大会で、キム・ムソン議員が「中央日報」を持って李明博選挙候補の道谷洞土地疑惑を提起し、候補辞退を要求している=資料写真//ハンギョレ新聞社
2007年8月16日、李明博候補はソウル汝矣島の事務室で記者会見を行い、検察が「政界が非難を続ければ捜査内容をさらに明らかにする」としたことに関連して「検察が他の情報を持っているなら脅迫するのではなく直ちにすべて公開することを願う」と話している=資料写真//ハンギョレ新聞社

 李明博(イ・ミョンバク)元大統領の財産借名所有論議の元祖といえる「道谷洞(トゴクトン)の土地」をめぐり、「(この土地は)『李明博元大統領の所有』だとし、無条件に買わなければならないという会社上部の指示で買い取ることになった」という核心実務者の具体的な証言が出てきた。彼は「(李明博元大統領の義理の兄弟である)キム・ジェソン氏と会社の本部長から聞いた話を根拠に、検察に対しても『道谷洞の土地はMB(李明博)の土地と理解している』と述べた」とも話した。

 1995年当時、道谷洞の土地をキム・ジェソン氏から263億ウォン(当時のレートで約32億円)で買い取ったポスコ建設(当時ポスコ開発)のP開発事業本部当時チーム長(理事補)は、最近ハンギョレとのインタビューで「道谷洞の土地を言い値で買えという上部の指示を受けて計画を立てた」として「その過程で本部長などを通して道谷洞の土地が“MBの土地”という話を聞いた。本部長と親しかったが、そのような内幕を話さなければ(土地の買い入れに否定的な)職員が(言われたとおり)動かないだろうと考えたようだ」と話した。

 P元チーム長は1995年4月、会社の指示で道谷洞土地事業基本計画書を作り、3カ月後の7月にキム・ジェソン氏(2010年死亡)と契約を締結した実務責任者だった。P元チーム長は、当時ポスコ開発のJ本部長の指示を受け、その上にはC副社長とポスコのキム・マンジェ会長がいた。

 ソウル市江南区(カンナムグ)のいわゆる「道谷洞の土地」は、1985年に李明博現代建設社長の時に現代建設から義理の兄弟であるキム・ジェソン氏、長兄のイ・サンウン氏の名義で買い入れた土地(169-4番地)から始まった。その後、二人が第三者から追加で買い取った一帯の土地まで含めてポスコ建設が1995年に請託などを受けて一括買い入れ(1986.5坪)したという情況があらわれ、MB借名取引・所有論議が荒々しく起こった。

 15億ウォンが10年で263億ウォンに化けたうえに、道谷洞の土地売却代金の一部がその後二人の名義で設立したダースに流れた点などにより、李明博元大統領財産借名所有疑惑の出発点と見なされる。

迎浦ビルディング=資料写真//ハンギョレ新聞社

 P元チーム長は「契約するためにキム・ジェソン氏と迎浦(ヨンポ)ビルディングの地下事務室で会ったが、その時きっちり265億ウォンとの言い値で終わりだった。駆け引きしようという話もしなかった。その場で『神話はない』(李明博著作・1995・キムヨン社)を私たちに一冊ずつ配った。それをどうして配るのか」と話した。さらに「イ・サンウン氏が共同地主になってはいたが、キム・ジェソン氏が『自分がすべて任されていて、印鑑も持っている』と話した」とP元チーム長は話した。

2008年2月21日、李明博・当時大統領当選者の道谷洞土地・ダース借名所有およびBBK関与疑惑などを捜査してきたチョン・ホヨン特別検察官が、ソウル市江南区駅三洞の特検事務室で最終捜査結果を発表している=資料写真//ハンギョレ新聞社

 特に、ポスコ建設実務チームは、1995年の買い入れ前後に道谷洞土地の価値を180億ウォン程度と評価した。そのうえ「事業妥当性調査の結果、収益性がきわめて低い」として土地の買い入れに否定的な意見も提起した。P元チーム長の説明によれば、ポスコ建設はこの土地を買いとった後にも計画どおり開発することはできなかった。「高く買っただけに相場が上がらず赤字が予想されるため4~5年間は開発自体できなかった」ということだ。建設会社は資金流動性などのために土地を買いとると同時に即開発するのが一般的だ。

 P元チーム長は「私たちが査定して、売る人が無理に金額を吊り上げて…まったくおかしな格好」だったとし「それで『私たちが何が惜しいと追いかけるのか分からない』、『手伝い賃くらいは貰うべきでないのか』と実務者たちが言い立てて、それでも2億ウォンを削った」と話した。また別の実務者のハンギョレとのインタビューどおりならば、ポスコ建設が最終売買契約を結ぶまでP元チーム長など実務チームは、キム・ジェソン氏と3~4回さらに会った。

 P元チーム長のこうした具体的な陳述は、実際の指示権限を持っていたキム・マンジェ当時会長とC副社長などの証言を通して裏付けられる。キム会長は1998年の監査院監査で「該当土地の実質的所有者は李明博氏と理解している」と話した。現在はすでに亡くなったC副社長は「J本部長に土地の話を聞いて、後に地主に会ったところ、事実上の所有者は特別な人物で、キム・マンジェ会長と親しい間柄という話を聞いた」と話した。この証言は、その後それ以上具体化されず、李元大統領や検察が否認ないし否定して事実上力を失った。

 検察は、李明博氏が当選者時期だった2008年2月、道谷洞の土地について「(借名疑惑がある土地も)イ・サンウン氏の所有」との結論を出した。「イ・サンウン氏の持分は第三者の借名財産と見られる」という2007年8月の中間捜査結果さえ覆したわけだ。その年、ハンナラ党の大統領選候補競選当時、朴槿恵(パク・クネ)候補側は「(MB借名取引の場合は)実刑5年以上から無期懲役まで可能な特定犯罪加重処罰法の対象」と責め立てたが、検察の判断は違った。

 P元チーム長はその後、常務職級まで上がったが、2000年代中後半に会社を去った。彼は部下職員の金銭不正が起きたためと話した。彼は何回も面会を求めた記者に「事実、私は現代建設出身だ。サウジにいる時、MBが現場に来て一緒に夕食も食べた。そのような人が私の人生で…」と言って語尾を濁した。

 そして、このように終止符を打った。「(MBについては)顔を見るのも嫌で、話すのも嫌です。まきこまれること自体が地獄です、地獄」

イム・インテク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/830215.html韓国語原文入力:2018-01-31 21:09
訳J.S