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在日同胞がつくった「耽羅研究会」、命脈保てるか

登録:2018-01-09 07:30 修正:2018-01-09 08:22
済州出身の在日同胞たちが作った済州の歴史勉強会 
研究会発起人の梁聖宗事務局長が先日死去 
在日1世代がほとんど亡くなり…命脈途切れる危機
先月29日に死去した耽羅研究会の梁聖宗元事務局長が先月18日、東京のアリラン文化センターで研究会が発行した『済州島』冊子を手に取って見せている=ホ・ホジュン記者//ハンギョレ新聞社

 東京で活発に済州島研究を進めてきた耽羅研究会の梁聖宗(ヤン・ソンジョン)元事務局長(79・済州市朝天邑出身)が、昨年12月29日に死去していた事実が明らかになった。梁元局長の死去で33年間続いてきた耽羅研究会も命脈が途切れてしまう危機に置かれた。

 耽羅研究会は1985年1月19日、東京で済州を深く勉強し、広く知らせるために済州道出身の在日同胞たちが作った団体だ。早稲田大学史学科を卒業した梁元局長は、同団体の創立発起人の一人だ。会員たちは毎週土曜日に集まり、済州の歴史と関連した史料を講読し、李益雨(イ・イクウ)先生を招いて済州の歴史書である『耽羅紀年』と漢文資料の授業を行うなど、日本で済州の研究の基礎を築いた。梁元局長は郷土史学者の金泰能(キム・テヌン)の『済州島略史』と詩人高銀(コ・ウン)の随筆集『済州島』を翻訳し、会員たちと一緒に読みながら、済州の歴史と文化を勉強してきた。耽羅研究会はこれまでに『耽羅研究通信』と『済州島』という冊子も発行した。

 済州4・3の追悼式を日本で初めて挙げた人々も耽羅研究会会員だった。昨年12月18日、ハンギョレと会った梁局長は「4・3当時済州島で活動したキム・ドンイル氏(故人)と耽羅研究会長を務めたキム・ミンジュ氏(故人)を中心に4・3から37周年を迎えた1985年4月3日、小さな祭祀膳を供えて犠牲者を追悼した。当時、私を含めて4人が参加した。キム・ドンイル氏が供え物を用意して、私が住んでいた家の2階で祭祀を行った。3年間慰霊祭を行い、その後1988年に、4・3の40周年行事を済州出身の在日同胞など500人あまりが参加して開いた」と話した。耽羅研究会は当初「歴史部」(担当・梁聖宗)と「4・3部」(担当・キム・ミンジュ、コ・イサム)の2つの部を運営していたが、4・3の40周年行事を起点に4・3部を「4・3を考える会」に転換して活動してきた。

 梁元局長の死去で、耽羅研究会の創立発起人たちがほとんど亡くなり、研究会の命脈を保つことが難しくなった。済州4・3研究所の関係者は「済州出身の在日同胞が作った耽羅研究会の成果が大きかった。梁先生が4日に家族と済州を訪問をすることになっていたが、突然亡くなったという悲報を聞いてとても残念だ」と話した。

ホ・ホジュン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/area/826788.html韓国語原文入力:2018-01-08 22:32
訳M.C

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