1944年9月8日、中国雲南省松山のある民家の前に7人の女性が裸足で立っている。米中連合軍傘下の第8軍司令部参謀将校シンカイ大尉(中国軍将校)がその中の一人の女性と話を交わす間、他の女性はおびえてうつむいていたり他所を見たりしている。米国立文書記録管理庁で見つけた朝鮮人慰安婦の姿を撮った18秒の動画だ。
ソウル市とソウル大学人権センター(ソウル大学チョン・ジンソン教授研究チーム)は、73年前に中国の雲南省松山で捕虜として捕らえられた朝鮮人慰安婦を撮影した白黒映像を5日に発掘し公開した。今までは英国の帝国戦争博物館が所蔵した中国人慰安婦を撮った2編の動画が公開されていただけで、朝鮮人慰安婦を実際に撮影した動画が確認されたのは今回が初めてだ。
研究チームは、米中連合軍164通信隊写真隊所属の写真兵が撮った写真を追跡する過程で、エドワード・ペイ兵長が撮ったと推定される長さ30センチのフィルムを発掘した。このフィルムの一部には朝鮮人慰安婦と見られる人々の姿が含まれていることを発見し、先に公開されていた松山の慰安婦写真と対照し、彼女たちの国籍を推定した。
1944年6月から米中連合軍は「ビルマロード」に沿って日本軍が占領した雲南省の松山、騰冲、龍陵を攻撃した。騰冲が陥落する3カ月前の戦闘過程で、日本軍は朝鮮人女性30人を銃殺した。松山慰安所でも24人の女性のうち10人が砲撃で死亡し、4人は脱出し中国軍に発見され生き残った。この写真が最も広く紹介された朝鮮人慰安婦の写真だ。2000年12月、日本の東京で開かれた日本軍性的奴隷戦犯女性国際法廷で、北朝鮮に暮らすパク・ヨンシムさん(1921~2006)はこの写真で左端の妊婦が自身であると証言した。この写真は日本軍の戦争犯罪を立証する写真になった。
今回公開された映像には、上の写真に登場する4人の脱出女性のうち2人と、慰安所で生き残った女性5人が雲南省昆明の捕虜収容所に移送される前の姿が写っている。研究チームは、二つの映像を対照し、動画に出てくる女性のうちの2人が松山から脱出した女性2人と同一人物であることを確認した。また、中国軍第8軍司令部で尋問を受ける朝鮮人女性の写真、松山で中国軍と米軍が朝鮮人女性を逮捕した直後を撮った写真でもこの動画に出てくる女性3人を追加で確認した。研究チームは、これらの女性5人全員が松山慰安所にいた朝鮮人女性たちであると推定した。研究チームは、映像中の女性たちの身元は確認できなかったが、米中連合軍が捕虜の尋問過程で作成した「昆明捕虜尋問報告書-朝鮮人慰安婦名簿」に記載されている女性であると推定している。この動画は白黒・無声で撮影されたので、彼女たちの声や対話の内容は確認できない。
これに先立って公開された写真で妊婦だったパク・ヨンシムさんと、顔に火傷を負った女性は、治療を受けていたために動画に登場しなかったと推定される。動画の中で拳をぎゅっと握りしめている2人の女性は、脱出の過程で別れたが再び落ち合ったと考えられる。研究チームは、映像の中で他の女性たちとはちょっと離れて立つ着物を着た女性は、慰安所の日本人管理者だったと推定した。
この日、ソウル市とソウル大学研究チームは、映像を撮影したペイ兵長が中国の龍陵で日本軍慰安所として使われた建物を撮影した動画も共に公開した。グランドホテル、ゲイシャホテルと呼ばれた2階建ての建物を撮った動画は、米中連合軍が龍陵を占領した直後の1944年11月4日に53秒間撮影されたものだ。