「19年間の獄中生活の末に釈放されてから、私の関心事は刑務所内の政治犯の釈放問題と拷問の撤廃でした。日本はもちろん、米国やカナダ、ヨーロッパ、南米などを回りながら多くの話をしました。ところが、世界を歩き回りながら北東アジアの状況を見ているうちに、人権運動や統一運動もいいが、何よりも戦争が起きてはいけないと思いました。平和を守ることが重要な課題だと認識して、平和運動にまい進するようになりました」
昨年11月、東アジア地域の国家暴力と人権侵害の現場踏査をもとに歴史・人文の紀行文である『東アジアのウフカジ』を出版した人権・平和運動家の徐勝(ソ・スン)立命館大学特任教授(72)は、平和運動に集中してきた理由をこう語った。「ウフカジ」とは大きな風を意味する沖縄言葉で、沖縄の知人らが情熱的に平和・人権運動に取り組む彼に付けてくれたニックネームだ。この3月から済州(チェジュ)大学在日済州人センターの訪問学者として(済州に)滞在している彼に、21日に会った。
済州大学在日済州人センター訪問学者に
韓日中の踏査した歴史・人文の紀行文を出版
『東アジアのウフカジ』済州で出版記念会
ニックネーム「ウフカジ」沖縄の言葉で「大きな風」
海軍基地反対の講演・ろうそく集会にも参加
「統一も民主化も“戦争なくしてこそ”可能」
徐教授は1971年4月、朴正煕(パク・チョンヒ)維新独裁政権がねつ造し「在日同胞学園浸透スパイ団事件」で逮捕され、19年間の辛苦を経て、1990年2月に釈放された後、平和・人権運動に献身してきた。
彼は今月12日、済州市のブックカフェ「カク」でささやかな出版記念会を開いた。済州道(チェジュド)との特別な縁のためだ。日本で大学に通っていた時代、彼は済州出身の同胞から「4・3抗争」の話を聞き、1998年には「東アジアの冷戦と国家テロリズム」をテーマにした「第2回国際シンポジウム」を済州開催を企画した。ここ数年間は、済州西帰浦(ソグィポ)海軍基地建設反対闘争の現場を訪れては講演もした。
彼は「6年前、大学を定年退職し、特任教授という名で現役から退いた後、私が経験したことを伝えなければならないという一種の使命感に駆られた」と話した。これまで彼は韓国や日本、中国など多くの国の人たちと一緒に旅行団を作って東アジアを踏査した。沖縄をはじめとする日本や台湾、済州、中国の南京と東北部地方など、歴史の現場を歩き回りながら話し合い、現地活動家たちにも会った。
このような過程を経て出た本が『東アジアのウフカジ』(1・2)だ。第1巻には韓国や台湾、中国などで講演した「国家暴力と人権」、「東アジア平和」などの講義内容と、東北アジア平和安全保障に関するコラム、文化芸術活動に関する内容をまとめた。
彼は「統一や民主化も“平和”という土台の上で議論されなければならない。言葉だけの平和ではなく、現実的・歴史的な脈絡で平和を認識し、行動しなければならないが、このような認識があまり根付いていない」と指摘した。
長い間市民社会領域で平和・人権運動を行ってきた彼は、東アジアに平和を定着させるためには、市民社会の連帯と努力が必要だと強調している。彼は「韓国の真実和解委員会のように、各国の市民らが中心となった東アジア真実和解委員会を作る必要がある。これを通じて共同研究して共同認識を作っていく過程が必要である。簡単ではないかもしれないが、地道に努力していけばいい」と話した。彼は「平和達成のためには偏見のない交流が前提条件となる。平和構築は相互交流であり、相互理解」だとしたうえで、「何より重要なのは信頼だ。信頼を構築して武装しなくても安心できる関係を作らねばならない」と指摘した。彼の平和認識は「朝鮮籍」を持った在日同胞の問題につながった。
彼は「朝鮮籍の在日同胞たちは故郷に行きたくてもいけない。朝鮮籍であるため、韓国に入ることもできず、済州の故郷に墓参りもできない人が多い。このような非人間的な仕打ちがどこにあるのか。信頼を築くためには、このような障壁を撤廃しなければならない」とし、「文在寅(ムン・ジェイン)政権にかける期待が大きい」と話した。
最近数年間、開発ブームが起きている済州島の状況について、徐教授は「済州島が2005年1月『平和の島』に指定されたが、内部には開発主義が蔓延しているようだ。済州海軍基地も平和を掲げている。総論は平和を叫ぶが、各論に入ると、開発至上主義、環境破壊、軍事主義に走っている」と指摘した。
済州で開かれたろうそく集会に参加したこともある徐教授は「私たちがろうそく集会で認識したのは、『私たちが主人であり、決定権者だ』という意識」とし、国民主権意識をまともに認識できるようになったのは、ろうそく集会の最大の成果であり、民主主義の基礎だと評価した。