「私の野蛮を記憶し、また記憶する/ここで/ベトナムの最後の子守歌が韓国の子守唄と出会う/ああ、東アジアの波の音よ、君と私の波の音よ」(高銀)。「韓国とベトナムの間に憎悪の跡が消え/愛だけが残るそんな世の中を作るのは/もう君と私の役目ではなかろうか!」(タンタオ)
「ベトナムピエタ(最後の子守唄)」を題名に、韓国の代表的な詩人、高銀(コ・ウン)氏とベトナムを代表する詩人、タンタオ氏の詩が刻まれた銅板が現れた。
ベトナムと済州(チェジュ)が平和の名で出会った。ベトナム戦争当時、韓国軍による民間人虐殺犠牲者の母親と無念の死を遂げた名もなき赤ちゃんたちの魂を慰めるために制作された「ベトナムピエタ」像が26日、「平和の島」済州の江汀(カンジョン)村に建てられた。
今月30日はベトナム戦争終戦42周年になる日だ。また、済州江汀村への済州海軍基地の誘致が決まってから10年になる日でもある。財団法人韓ベ平和財団(理事長カン・ウイル主教・カトリック済州教区長)は同日午後、10年間にわたり海軍基地建設反対闘争を繰り広げてきた済州江汀村の聖フランシスコ平和センターで、ベトナム戦争終戦42周年記念記者会見と共にベトナムピエタ像の除幕式を行った。
ベトナム戦争を乗り越え、ベトナムとベトナム人たちが平和を渇望しているように、(済州)四・三事件の廃墟を乗り越えて立ち上がった済州と、基地反対闘争を通じて生命平和村に生まれ変わった江汀村も、平和を渇望している。この日造成された追悼空間にはベトナムピエタ像だけでなく、平和に向けた詩が壁に刻まれ、江汀平和活動に参加した米国人のウィリアム・ジェローム・ビックス神父(1928~2015)の浮彫像と遺体も安置された。
カン・ウイル理事長は同日、記者会見で「ベトナムピエタは戦争で亡くなったすべての尊い命を胸に抱き、平和の子守唄を歌う。これだけでは韓国の謝罪を伝え切れないが、『ベトナムピエタ』を出発点にしたい」としたうえで、「『平和は平和のまま生きていくよう、そっとしてくれ』というベトナムの代表的な詩人タンタオの言葉は、江汀に対するベトナムの心だ。ベトナムピエタが江汀と出会った理由だ」と話した。
カン理事長は「堕落した政権の没落と、それに続く(セウォル号の)真実の引き揚げは、私たちが住むこの地の現在であり、私たちが見守ってきた歴史の真理」だとしたうえで、「私たちが認知できず、歴史の行間に消えていったベトナム戦争当時の韓国軍による民間人虐殺の真相究明は、必ず行われなければならない。私たちの兄弟や隣人を戦場に送り出した私たち皆の反省や謝罪も伴わなければならない」として、真実究明を求めた。
韓ベ平和財団は、ベトナム戦当時、韓国軍のベトナム民間人虐殺に対する韓国社会の反省と省察を通じて平和と共存の未来を切り開いていくために、今年2月に設立された。