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[寄稿]「ベトナムピエタ」像の除幕によせて

登録:2017-04-25 08:47 修正:2017-04-25 11:18
韓ベ平和財団はベトナム戦終戦42周年を迎える今月26日、済州江汀村の聖フランシスコの平和センターに、ベトナム戦争当時韓国軍による民間人虐殺の犠牲となった母親と赤ちゃんたちの魂を慰めるために製作された「ベトナムピエタ」銅像を建てる=韓ベ平和財団提供//ハンギョレ新聞社

 名前を呼びます。
ボ・ザイン(Vo Danh)
漢字語では無名氏、韓国語ではアムゲ(なにがし)。
ボ・ザイン
名前でない名前を呼びます。

 ベトナム中部のそこ、ユイタンで。そこ、ユイチンで。そこ、ビンホアで。そこ、ジエンニエンで。そこ、フォックビンで。そしてそこ、ハミで…。生まれたばかりでまだ名前も授からないまま死んでいった、多くの赤ちゃんたちの名前は“ボ・ザイン”です。

 ベトナムピエタの母は、この無名の赤ちゃんたちを胸に抱き、子守唄を歌います。

 生きていれば数えきれないほど歌ってあげた子守唄を、短すぎる生涯の最期にも歌ってあげられなかった子守唄を、もう苦痛のない世界で深く美しく眠りなさいと、眠れ、眠れと子守唄を歌います。だから「ベトナムピエタ」のベトナム語の名前は「最後の子守唄」(Loi ru cuoi cung)です。

 ベトナムピエタは、巨大な歴史の渦の中で咲き落ちた多くの命に捧げる慰撫であり、ばらばらになったそのちっぽけな肉体に対する記念碑であり、死んだ者のための生ける者の哀悼であり、数年、数十年、いや、もしかしたら数百年たっても癒えない傷を治癒しようとする鎮魂曲です。

 ベトナムピエタはまた、国家暴力によって無念にも犠牲になりながら、最後まで国家が責任を負わない命に対する、そして韓国政府がまだきちんと伝えていない「ベトナム民間人」に対する謝罪の碑にならなければなりません。それが今日私たちが、自分で一度も大きく呼吸することもできず、自分の声を一度もちゃんと吐き出せずに消えて行った数多くの存在を、この場に呼ぶ理由です。

 悲しみが別の悲しみに問うことが平和です。痛みが他の痛みに差し出す手が平和です。2017年4月26日、「韓ベ平和財団」は、平和の島済州、世界平和の一線の江汀(カンジョン)村にベトナムピエタを建てます。「ベトナムピエタ」が江汀に宿り、江汀が「ベトナムピエタ」を抱くこの場が、まさに平和です。「わたし」の哀悼と「あなた」の哀悼が出会い、完全に悲しみを見送る場に、初めて咲くものが平和です。

そうして
再び、名前を呼びます。
韓国軍の銃刀に殺戮された数千、数万のベトナムの英霊たちよ、
日本軍の軍靴に踏みにじられた20万の花よ、
3万の済州の風よ、
光州(クァンジュ)の5月の花の雨よ、
ついに済州に着けず星になったセウォル号の子どもたちよ…
この世のすべての悲しみが流れこみ
ここ、済州で。ここ、江汀で。ここ、クロンビで
春の花として咲くだろう
ああ、平和よ!

※ベトナムピエタの銅像建立後援:KB国民銀行878901-00-009326 韓ベ平和財団(問い合わせ82-2-2295-2016)

ク・スジョン 韓ベ平和財団常任理事(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/because/792050.html 韓国語原文入力:2017-04-24 19:03
訳M.C(1280字)

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