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一生かかって得た家を失い住宅保証金まで使い果たす場面

原文入力:2009-01-06午後02:57:12
[民生ニューディール]庶民経済再生緊急提案-⑥ある家庭の‘病院費破産’

ソク・ジンファン記者

庶民にとって病気は人生を根元から揺るがす暗礁だ。癌など難病にかかれば家族全員が一日で貧困という断崖に落ちる。健康保険が治療費の半分以上を負担してくれるものの低所得層が負担しなければならない‘残り’は中産層のそれとは重さが違う。経済難で所得が減ったり職場でも失おうものなら病気はそれこそ災難だ。不況であるほど国家が公保険の範囲を広げて庶民らの予告なき没落を防がなければならない理由だ。ハン・ヒョンジャ(55)氏は肝臓癌にかかった夫(60)を5年間看病している。手術と入・退院を繰り返しながら、ハン氏の家計は今破産直前だ。ハン氏の看病記は破産記に違いなかった。 ハン氏の独白形式で再構成した。

5年間 夫肝臓癌手術で夫人が生計責任とって
看病・生活費 二重苦…MRIは保険適用外
通帳残高100万ウォン・知人助けも今は尽きた

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2008年12月:入院12日目,病院費162万ウォン
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←ハン・ヒョンジャ氏がソウルのある総合病院で肝臓癌で闘病中の夫イ・サンフン(60)氏を世話している。 5年前肝臓癌にかかった夫が毎年2~3回入・退院を繰り返す間ハン氏の家計は破産直前の危機に陥っている。

12月11日、夫がまた倒れた。いつものように夫は手術を受けた病院の応急室に運ばれていった。かろうじて体一つ横たえるほどの簡易ベッドで夫は全身を絞るように苦しみながら一夜を過ごした。‘病室がない’という理由からだ。翌日、病院は望んだ‘多人室’ではなく2人部屋を割り当てた。毎度そうだ。一日に14万7千ウォンずつかかる病室で六日を過ごした後に5人部屋に移った。ここは一日に1万4千ウォンだ。

23日に入院して12日目だ。夫は二時間程度かかる肝動脈化学塞栓術を受けた。再手術ができないので入院する度に受ける治療だ。普通一度入院すれば五日から一週間程度治療を受けて退院する。心配なことは今年に入ってから入院回数が多くて入院期間もさらに長くなっている点だ。すでに10日を軽く越えたが今度はいつ退院することができるか計りにくい。

最も気が焦るのはいつものことながら病院費だ。昨日病院で計算書を中間精算して病室に持ってきた。総額は464万3千ウォンだ。このうち、夫と私が負担しなければならない分は162万ウォンだ。それでも治療費の35%で済むのを感謝しなければならないのか。

内訳を見てみると、患者負担分の中で最も大きいのが入院費(73万5千ウォン)と核磁気共鳴映像撮影(MRI)費用(66万1千ウォン)だ。核磁気共鳴映像撮影検査費は保険適用にならないかと尋ねたところ、病院では「疾患と直接関連がなくて該当にならない」と答えた。医師が撮れといったものなのになぜ疾患と関連がないというのか、まったく理解し難い。尿をはやく検査しなければならないという看護師の助言にストローで水をごくりと飲んだ夫を連れてトイレへ向かった。腹水がたまって腰を曲げるのが不便な夫は病室内の椅子式便器を使うことができなかった。夫を助けて廊下のトイレ小便器にたどり着いた。トイレだけでも一人で行けるようになってくれれば私が仕事に行けるのだけど….

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2003年12月:肝臓癌診断で家を売ることに
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2003年12月、そういえば丁度5年前だ。宅配の仕事をしていた夫が肝臓癌の診断を受けた。若くして故郷の全南,咸平から上京し、これまで悪いこともせずに仕事ばかりしてきた夫だった。そんな人間にこのように苛酷な罰を与える神を恨んだ。診断一週間目に手術を受けた。幸い夫が別に入っていた保険があって2千万ウォンを受けとった。多いに役に立ったけれど、一回きりの保険金はその時だけで、ずっとかかる治療費に耐えるには全く足りなかった。

結局家を売ることにした。他に方法がなかった。夫と私が一生かかって貯えた唯一の財産を差し出す時の気持ちは体験してみなければ分からないだろう。不動産仲介所に行ってきた日の夕方、人知れずおいおい泣いた。急売に出した京畿道,下南の一戸建て住宅は1億9千万ウォンで売れた。家を担保にした借金と我が家の借家人に貸し切り保証金を除いて残っている治療費まで計算したら手に残ったお金は8千万ウォンが全てだった。このお金で4千万ウォンの貸し切り住宅を得て引っ越しした。当時中学校3年だった娘の衝撃はさぞかし大変だっただろうか。

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看病と生活戦線:収入途絶えて生活費は二倍
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夫が元気だった頃は宅配の仕事をして月に200万ウォン程度を稼いだ。私が仕事をしなくても私たちの三人家族が暮らすには問題がなかった。そうするうちに夫の収入が途絶えて私が仕事に出て行かなければならなかった。若い時に縫製工場に通った技術があったので小さい工場から裁断仕事を請け負った。だが130万~140万ウォン程度の月給で娘を学校にやって夫を看病することは到底望めなかった。その上に1年に2~3回ずつ入院して治療受ける夫を看病しようとすれば出勤できない日が多かったし、一度入院する度にかかる80万~100万ウォンの病院費まで重なって苦痛は二倍になった。

退院をしてもかかるお金が減りはしなかた。してみなければ理解できないだろうが、患者がいれば60万ウォンで済む生活費が120万ウォンになるものだ。薬代はもちろんだが、食欲のない夫に私たちと同じものを食べろということはできない。真夏でも雨が降れば寒がる夫のために暖房をした。今年は娘が大学に入学して前の学期の授業料430万ウォンを払った。アルバイトをしてはいるが自分のお小遣を使ったら授業料に授業料を補うほど多くの金にはならない。来学期の授業料を払わなければならない時がくるだろうが、今はそんな暇な心配をしている余裕がない。

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2009年1月:医療破産直前に陥った家族
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夫が今回退院したら私たちはどのやって暮らせばよいのか。我が家には残っっているものなど何もない。家を売り、貸し切り住宅を得て余ったお金4千万ウォンでこの5年を上手く凌いだが、もう通帳には100万ウォンも残っていない。あちこちの親戚が少しずつ助けてくれたがそれも絶えて久しい。昨年から医療費次上位軽減対象に指定された。病院費が100万ウォンかかるものが75万~80万ウォン程度に減ったが国の恩恵に有難いと喜ぶ気持ちにはなれない。世の中が不況だからと私が通う工場の仕事が減っている。工場に出て行けなかい日がすでに半月になっている。景気の良い時には夫を看病する私の事情をわかってくれたが、工場で今後もずっとこんな私を使ってくれるか分からず不安だ。 状態がさらに悪くなれば結局は残った住宅保証金まで引き抜いてそれを家賃に回すしかない。どんな術を使ってでもかわいそうな私たちの夫の治療は中断することはできない。

去る5年がそれ以前に生きた50年の歳月よりはるかに長く感じられる。夫が元気でいてくれたら、元気でいてくれたら…. 文・写真ソク・ジンファン記者 soulfat@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/society/health/331556.html

原文: 訳J.S