キム・ギチュン前大統領秘書室長が2014年、パク・ハンチョル憲法裁判所長の「統合進歩党(統進党)解散審判年内宣告」の公式発言前に、大統領府首席秘書官会議でこれに言及していた事実が明らかになり、波紋が広がっている。パク憲法裁判所長が言及した「統進党解散年内宣告」方針は、当時一部の裁判官たちの間でのみ言及されたと知られており、大統領府が憲法裁判所の決定過程に介入したか、もしくは憲法裁判所が大統領府側に流出したのではないかという疑惑が広がっている。
全国言論労働組合が2日に公開した故キム・ヨンハン元大統領府民政首席秘書官の備忘録には、2014年10月4日、キム・ギチュン当時秘書室長が「統進党解散の判決-年内宣告」と言及したと推定される内容が書かれている。この時期は、パク・ハンチョル憲法裁判所長が初めて年内宣告の方針を言及した2014年10月17日よりおよそ2週間ほど前だ。パク憲法裁判所長は、当時の憲法裁判所の国政監査に参加した国会法制司法委員会所属の国会議員たちとの昼食の席で「(統進党解散審判は)今年中に言い渡すことになるだろう」と話した。
パク憲法裁判所長の言及は、統進党事件の公開弁論が続いていた時期だったため、憲法裁判所の内外から不適切だという指摘を受けた。実際2014年10月7日と10月21日に、それぞれ第15回、第16回の公開弁論が開かれた。憲法裁判所は同年8月から統進党解散審判請求引用論を、9月から棄却決定論を準備していたという。9月30日には、ソウル高裁で懲役9年を言い渡されたイ・ソッキ前統進党議員の最高裁判所上告審の主審がキム・ソヨン最高裁判官に決まった。
当時、国政監査で当時新政治民主連合の朴智元(パク・チウォン)議員は「所長が乾杯の辞を述べながら決心したようにおっしゃったので驚いた」とし、「期限を指定して所長が話したことは大変な波紋をもたらしかねない」と何度も指摘した。これに対してキム・ヨンホン憲法裁判所事務処長は「最大限早くするという趣旨」だと釈明に乗り出した。しかし結局、パク憲法裁判所長の言葉通り憲法裁判所は同年12月19日、裁判官8対1の意見で統進党の解散と議員職喪失を決定した。
キム・ギチュン室長、首席会議で言及の2週間後
パク・ハンチョル所長「年内宣告」公式に触れ
当時、評議で判決時期を決めたことはなく
大統領府が憲法裁に協力要請した可能性
一部の裁判官は「年内宣告」言及
憲法裁が大統領府に意見流出した疑いも
当時の状況をよく知る憲法裁判所関係者らの話を総合すると、パク憲法裁判所長の発言の前に「年内宣告」方針は一部の裁判官を除いてはほとんど知らなかったとみられる。裁判官だけが参加する評議で公開に判決の時期を決めたことはなかったからだ。宣告を急がせようとする一部の裁判官たちの間だけで、年内宣告が取りざたされていたという。このため、大統領府側から憲法裁判所に「協力」を要請したのではないかという疑惑が提起されている。
憲法裁が大統領府側に一部の裁判官たちの年内宣告意見を伝えたという可能性も提起されている。どちらであれ、キム前秘書室長など大統領府関係者と憲法裁判所が特定事件に関して接触したことが事実なら、憲法裁判所の政治的中立性と独立性が大きく損なわれたという批判は避けられない。当時の憲法裁判所の議論過程をよく知る関係者は「年内宣告をあえて急ぐ理由がない状態で、当時のパク憲法裁判所長の発言は議論になった」とし、「憲法裁判所の独立性は、結論だけでなく手続きや判決時期まで含まれるが、大統領府とこれを議論したのならば大きな問題になり得る」と話した。これに対して憲法裁判所は「大統領府側から連絡を受けたこともなく、憲法裁判所が大統領府に情報を渡したこともない」とし、「統進党解散審判請求事件は、憲法と法律によって公正に行われた」と明らかにした。
一方、一部公開されたキム前首席秘書官の備忘録によると、2014年10月4日キム前秘書室長の指示以外にも、統進党事件と関連するメモが何回も出てくる。キム前首席秘書官は2014年7月9日「統進党元幹部、国家保安法実刑宣告の件-広報されるようインターネットでも」、7月23日「イ・ソッキ内乱善処嘆願関連。ヨム・スジョン(枢機卿)、チャスン(曹溪宗総務院長)、キム・ヒジュン大主教、キム・ヨンジュ牧師。国家転覆企図勢力に対する善処嘆願は困難。教皇に関する各種の支援にかかわらず。記録に残すべき」と書いた。8月8日には「イ・ソッキ善処嘆願反対関連の寄稿文など憲法裁提出」が、8月25日には「統進党事件関連裁判の進行状況、広報、世論」が、11月18日には「統進党裁判関連署名運動(コ・ヨンジュ)」などと記録されている。