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[寄稿]法をもって悪戯をする“守旧法匪”が憲法を破壊する

登録:2015-07-23 23:51 修正:2015-07-24 08:17
『反憲法行為者列伝』を編纂するハン・ホング教授

 16日、チョ・グク、キム・サンボン、キム・ドゥシク、パク・ノジャなど40~50代の知識人33人が、大韓民国政府樹立以後の内乱、虐殺、拷問及び捏造、不正選挙などを通して憲法を破壊する行為をした代表的な人物を網羅した『(仮称)反憲法行為者列伝』編纂の提案を市民社会に投げかけた。 2009年に解放64年目にして『親日人名事典』が編纂されたのは興味深い事ではあったが、収録対象者のほとんどが死亡した後に本が出たという点で非常に残念であった。 『反憲法行為者列伝』の収録対象者は相当数が生存しているだけでなく、何人かはまだ現実の権力において中心的な位置を占めているという点から、編纂を始めるという消息だけでも少なからぬ波紋を呼んでいる。

資料写真 //ハンギョレ新聞社

朴槿惠政権の人々
辛うじて行われた過去清算の成果を蹂躙

チョン・ホンウォン
「チョウォン河豚食堂事件」の担当部長検事
不法選挙介入のキム・ギチュンと格別の縁

イ・ワング
第5共和国で国保委内務分科委の実務者
三清教育隊設立に中心的役割

ファン・ギョアン
法務部長官時代にチェ・ドンウク総長追い出し
選挙法違反のウォン・セフン拘束捜査を妨害

ファン・ウヨ
70年代の明洞事件・80年代の学林事件
民主人士の監獄行き担当判事

その他
「チョウォン河豚食堂事件」の張本人キム・ギチュン
大統領府秘書室長として華麗な復活
担当検事キム・ジンテは検察総長に

 1998年の民主政権樹立以後、『独裁人名事典』や『反民主行為者事典』などを編纂すべきだという主張は何度も提起されたが、その作業が意味あるレベルで実際に準備されたことはなかった。「民主化運動記念事業会」や「真実・和解のための過去事整理委員会」のような機構が当然に引き受けて推進すべき作業だったが、さまざまな理由から手も付けられないまま今日に至った。金大中(キム・デジュン)政権や盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権時代に過去の清算を試みなかったわけではないが、はじめから加害者処罰のようなことは夢にも考えない、あまりにもつつましい「過去清算」の試みであった。

 まともな過去清算なしに進められた民主化は、砂上の楼閣であった。 守旧政権ができて単に過去事委員会等が廃止されるとか無力化されるといったことを超えて、民主主義自体が深刻に破壊され始めた。 李明博(イ・ミョンバク)政権を経て朴槿惠(パク・クネ)政権ができるとともに、維新時代の熱血青年将校ナム・ジェジュンが国家情報院長になり、さらに維新政権7年のうち4年半も中央情報部対共捜査局長を務めたキム・ギチュンが青瓦台の秘書室長になり、内乱陰謀事件が起こりスパイでっちあげ事件が発生した。韓国の民主主義が維新時代へと後退したのではないかという憂慮が提起されたと思ったら、統合進歩党が解散させられ、維新どころか李承晩政権時代へと歴史が後退する惨憺たる現実が到来した。 国家情報院のスパイ捏造事件は韓国社会全体を搖るがしたが、私は他の人々よりはるかに大きな衝撃を受けた。証拠捏造で中心的な役割を遂行した国家情報院職員が、盧武鉉政権の国家情報院過去事委員会時代に私の下で国家情報院側の調査官として仕事をした人物だったからである。国家情報院過去事委員会は、過去に中央情報部・安全企画部がしでかした拷問による捏造事件などを反省するために作られた機構だった。 そこに派遣されて仕事をした職員が、この事件の証拠捏造の主役になったという事実は、国家情報院が現組織の解体と国家最高の情報機関の再構成以外には、改革の方法がないということを雄弁に語っている。 私自身も実に愚鈍なことをしたと自らを責めざるを得ないのは、「人的清算なき過去の整理」が、ひょっとしたら可能かもしれないと信じた世間知らずのためだ。

 民主政権時代に辛うじて行われた過去清算の成果は、守旧政権に迎合する司法部によって無惨に蹂躙されている。民主主義が破壊されるというのだから、過去事関連判決が覆されることくらいは当たり前の事かも知れない。 しかし“前官礼遇”の判子の値段が年に数十億ウォンという大法院(最高裁)判事が、司法殺人にあった人民革命党事件の被害者の受け取る賠賞金の利子があまりにも大きいとして吐き出させた判決は、過去の電気拷問や水拷問よりひどい利子拷問により、被害当事者の血の涙を絞り出す事だ。 2010年、大法院と憲法裁判所は維新時代の緊急措置が維新憲法に照らしても違憲だと判決した。 しかし維新の王女、朴槿惠が大統領になると、大法院は当時の捜査官に兔罪符を与え緊急措置を違憲とする以前の判決を事実上覆してしまった。

 そして昨日、大法院は朴槿惠当選の一等功臣であるウォン・セフンの大統領選挙介入事件上告審で、有罪の主要証拠である電子メール添付ファイルの証拠能力を否認して破棄差し戻しした。国家情報院の選挙介入は、検察と裁判所が合作して証拠を探さないようにし、見つかった証拠は証拠能力を排斥することで、兔罪符を受ける直前の状況にある。 一番最後に民主化された司法部が、やはり権力からの風に一番先に揺らいでいる。

 生徒達には「じっとしていなさい」と言っておいて、船長と船員が真っ先に逃げたセウォル号事件から、私たちは自ずと橋を落として逃げた李承晩(イ・スンマン)を連想する。韓国の歴史はあまりに悲しいセウォル号事件よりもさらに惨かった。 逃げた船長イ・ジュンソクは、残る生涯を監獄で過ごして罪の償いをしなければならないが、戻って来た李承晩は暴悪な虐殺者として君臨した。 橋を落とされて逃げることもできずにじっとしているしかなかったソウル市民は、李承晩とその手下により人民軍の「附逆者」に仕立てられ殺され、拷問され監獄に閉じこめられた。 よく知られている国会フラクション事件、反民特委の瓦解と白凡・金九(キム・グ)先生の暗殺は予告篇に過ぎなかった。 全民族の悲劇となった朝鮮戦争は、反民族的親日派にとっては福音であった。 保導連盟虐殺、附逆者処罰、“共匪”討伐過程における民間人虐殺など各種殺戮を通して、親日派は反逆の過去をアカ狩りで潤色しながら大韓民国の公安勢力として安着した。 制憲憲法は、右派人士だけが集まって作ったにも拘らず、“従北左派”のパルゲンイ(アカ)に仕立てられて2014年末に解散させられた統合進歩党の綱領よりはるかに進歩的な内容であったが、国家保安法に押されて紙くず同然の身の上となった。公安勢力という新しい服に着替えた悪質親日派は、左派はもちろん民族的良心を持つ右派までも虐殺し、この地の主人となった。

■首相になった“法匪”ら

 1960年4月11日、馬山(マサン)沖で目に催涙弾が突き刺さった残酷な姿で浮かんでいた金柱列(キム・ジュヨル)の遺体は、国民的公憤を呼び起こし4月革命の起爆剤となった。一体どんな人間がまだ高校生の金柱列をあれほど無惨に殺害してその遺体を海に遺棄したのだろうか? 逮捕された犯人は、馬山警察署の警備主任パク・チョンピョだった。 当時の新聞資料や朴正煕(パク・チョンヒ)軍事政権が発行した『革命裁判史』は、パク・チョンピョの履歴については口をつぐんでいるが、実は彼は反民特委に逮捕された悪質憲兵アライ・ゲンキチであった。親日附逆勢力の反民特委襲撃により反民特委が無力化される中で無罪となり釈放されたパク・チョンピョは、悪質高等警察ノ・ドクスルが反民特委に逮捕されたが結局釈放されて憲兵に活動舞台を移したように、身分ロンダリング により警察官になった。 もしもある作家が反民特委に逮捕された者が釈放されて10余年後に金柱列を殺したと小説に書いたなら、評論家たちは主題意識はよく分かるが、小説の構成が過度に作為的だと批判しただろう。 しかし私たちにとって、それは歴史であり現実であり日常になってしまった。どうしてパク・チョンピョだけだと言えようか。

 李明博政権後半から現在まで、歴代の首相は皆『反憲法行為者列伝』の収録対象として深刻な検討に値する経歴の持ち主であった。 李明博政権の半分近い期間首相の座を占めたキム・ファンシクは、金大中内乱陰謀事件当時、法定最高刑が有期懲役である内乱陰謀事件で金大中に死刑判決を下すことを可能にさせた神の一手を使った判事であった。 その次の首相チョン・ホンウォンは、朴槿惠政権の最高実力者であったキム・ギチュンとは格別の縁がある。 よく知られているようにキム・ギチュンはチョウォン河豚食堂事件という不法選挙介入で監獄行きの身であり絶対に公職には就けない身であったが、紆余曲折の末に処罰を兔れて起き上がり小法師のように復活した。チョン・ホンウォンは当時その事件を担当した部長検事だった。担当検事だったキム・ジンテは現在検察総長である。 その次の首相イ・ワングは第5共和国の国保委内務分科委員会の実務者として5・17内乱の主要部分であり同時に歴代最大規模の不法監禁事件である三清(サムチョン)教育隊の設立に中心的な役割を果たした。 その次の現首相であるファン・ギョアンは、法務部長官時代に国情院の大統領選挙介入を主導した元国情院長ウォン・セフンを公職選挙法違反で拘束しようとするチェ・ドンウク検察総長を追い出して、国家機関の選挙不正を隠蔽した疑いが非常に濃い。 大韓民国の首相残酷史は、首相候補者の相次ぐ落馬にあるのではない。 むしろ首相になった“法匪”らが問題だった。 民主的な方式で民主国家を導いて行く意志も能力もない守旧政権が公安勢力に依存するようになった結果、専ら法を持って悪戯をする“法匪”たちばかりが首相となったのである。一千万の生徒や学生たちの教育に責任を負う教育副首相ファン・ウヨは、1970年代金大中大統領など民主人士を処罰した明洞(ミョンドン)事件の判事であると同時に、1980年代の最悪の公安事件である学林事件の判事でもあった。

 一千万人が観た映画『弁護人』は、拷問と捏造に対する社会的関心を高めてくれた。 『 弁護人』では映画の劇的緊張感を高めるために拷問捜査官チャ・ドンヨンの比重を高めたが、現実は直接拷問をする捜査官より、時には拷問を明示的または暗黙的に指示したかもしれず大概は拷問を黙認した公安検事の方がはるかに重要な役割を遂行した。 『弁護人』のカン検事のような人間の長兄が他でもない、維新政権7年のうち4年半を中央情報部対共捜査局長を務めて本格的なスパイでっち上げ事件の時代を開いたキム・ギチュンだ。 『弁護人』の素材となった釜林(プリム)事件の実際の検事たちはどうなっただろうか? 主任検事チェ・ビョングクは最高検察庁公安部長として全斗換・盧泰愚に対しては成功した内乱として見逃してやり、1996年の韓総連事件では指揮者として学生を5千名以上連行。そしてその後、3選議員としてハンナラ党政策委議長を務めた。 釜林事件で実際に法廷にしばしば出席してカン検事のモデルとも言われたコ・ヨンジュは、民主労働党時代から民主労働党の解散を主張していた統合進歩党解散の企画者であったし、かつて全国教職員労組の解散を主張して全教組を法外労組に追いやった主役の一人だった。 彼は今、セウォル号特別調査委員会にセヌリ党推薦委員として加わっている。 まだセウォル号特別調査委員会の活動が本格化していないため目立たないが、コ・ヨンジュはセウォル号の真実糾明を阻むために公安勢力が派遣した代表狙撃手だ。

 数十年が経って私たちの孫たちが実話に基づいているという『弁護人』を観て、ソン弁護士とチャ・ドンヨンはどうなったかと尋ねたならば、私たちは何と答えるべきか? 大統領になったソン弁護士は、正義を確立するために飛び回ったけれども、うまく行かずに落ちて死んだと。 チャ・ドンヨンは監獄へ行くことなく年金をきちんきちんと受け取って暮らし、老いて死んでからは拷問による捏造で受勲したお陰で国立墓地の国家有功者墓地に埋葬されていると…。 憲法を破壊した者たちは、ほとんど処罰されることなく現実の栄華を享受して来た。 彼らを現実の法廷に立たせることはできなかったが、そして今も公訴時効が消滅したという理由で、または時効が残っていても私たちに力がなくて彼らを現実の法廷に立たせることはできないだろうけれど、彼らに歴史の法廷さえも避けて通らせるわけには行かない。 『反憲法行為者列伝』は、遅ればせながらも彼ら憲法破壊者の行為を記録して歴史の法廷に提出する告発状となるだろう。 憲法を破壊して憲法精神を踏み躪った者らが謹厳な顔をして法治を語り憲法を言挙げしている現実を、座視することはできない。

■ 私たちが記憶すべき保守エリートたち

 我々の歴史に憲法破壊者や反憲法行為者ばかりがいたのではない。 『反憲法行為者列伝』には各巻の始めの部分に、公職者として憲法と良心と常識を守ろうとした人々の事例も提示される予定だ。 李承晩に対坑して頑として司法部の独立を守った金炳魯(キム・ビョンノ)大法院長、検察権を守ろうとして李承晩に憎まれ検察総長からソウル高検長に降格されたキム・イクチン、李承晩と検察総長の圧力にも拘らず収賄容疑の現職長官を起訴したチェ・デギョ、日帝に服務した者が新しい国で公職に就いてはならないと言って検事職を辞任したオム・サンソブ、橋を落として逃げだした者たちが避難できなかったソウル市民を断罪するという笑わせる裁判の中で、まともな精神と良心をもって『裁判官の悩み』を著わしたユ・ビョンジン、人革党捏造事件の起訴を拒否して辞表を投げたソウル地検公安部の検事たち、都市産業宣教会と労働者を不純勢力として処理せよという朴正煕の圧力を拒否した維新末期の最高検察庁公安部長パク・チュンヤン…。 こうした方々が私たちが記憶すべき保守エリートだ。

ハン・ホング教授 //ハンギョレ新聞社

 過去清算の作業が盛んだった頃、守旧勢力はどうして過去の事実を今日の定規で裁断するのかと批判した。 歴史は絶えず新しく書かれる。 新しい時代の新しい視点で絶えず再評価されるのが歴史であるから、過去の事実を今日の定規で評価することは決して批判されるべき事ではない。 しかし『反憲法行為者列伝』は、当時の法律体系でも明白な犯罪行為である内乱、虐殺、拷問と捏造、不正選挙のみを収録対象にする予定だ。 『反憲法行為者列伝』の編纂は、保守と進歩の理念問題ではない。 民主、平和、人権のような普遍的価値を基準とし、現実的には憲法規範に基づいて、我々の社会の原則を立てる事である。 国家機関が密かに選挙に介入することを防止することは民主主義のルールに関することなのに、そこに保守と進歩の別があり得ようか?  証拠をでっち上げるとか、拷問で罪のない市民をスパイに仕立てることを阻む作業に、保守と進歩の別があり得ようか? 国を守るようにと任せた戦車と大砲を逆方向に向かわせ憲法を破壊する内乱を糾弾するのに、保守と進歩の別があり得ようか?  2010年代を生きる大韓民国国民が、21世紀の主役になる未来世代に贈る小さなプレゼント『反憲法行為者列伝』を、市民と共に作ろうと思う。 多くの方の参加とともに財政的な後援をお願いする。

ハン・ホング聖公会大教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/700677.html 韓国語原文入力:2015-07-17 15:40
訳A.K(6401字)

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