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北朝鮮で収集された米軍所属韓国兵の遺骨が66年ぶり故国へ

登録:2016-04-21 23:28 修正:2016-04-22 06:36
1950年の長津湖戦闘で戦死した一等兵 
ハワイを経て国立大田顕忠院に安置
国防部遺体発掘鑑識団は21日、戦死者身元確認通知書と慰労牌、遺骨収拾時に棺を覆った太極旗を釜山に住む甥(長兄の息子)のイム・ヒョンシク氏(71、左端)に渡した//ハンギョレ新聞社

 二十歳の赤ら顔で家を出た青年は、太平洋を渡り2万1千キロの旅程を経て白骨になって66年ぶりに帰ってきた。 朝鮮戦争で北側の地で戦死したイム・ビョングン一等兵(1930年5月5日生)の事情だ。

 国防部遺体発掘鑑識団は21日、戦死者身元確認通知書と慰労牌、遺骨収拾時に棺を覆った太極旗(韓国国旗)を釜山に住む甥(長兄の息子)のイム・ヒョンシク氏(71)に渡した。 イム一等兵は戦争勃発直後の50年8月、米7師団所属のKATUSA(Korean Augmentation Troops to United States Army)として入隊し、咸鏡南道の長津湖(チャンジンホ)戦闘に参戦し戦死した。 長津湖戦闘は50年冬の酷寒の中で、米軍が北朝鮮の臨時首都だった江界(カンゲ)を占領するため進撃し、逆に長津湖付近で中国軍に包囲され大きな被害を被り後退した戦闘だ。

 長津湖近隣の原野に埋められていたイム一等兵の遺骨は、米軍の粘り強い遺骨発掘作業のおかげで家族のもとに帰ることができた。 「米合同戦争捕虜および行方不明者確認司令部」(JPAC、現DPAA)は北朝鮮と米国の合意により、2000年から北朝鮮地域で米軍遺骨発掘作業を進め、その翌年にイム一等兵などアジア系12人の遺骨を探し出した。 韓国国防部は「もし北朝鮮が韓国軍人の遺骨という事実をあらかじめ知っていたなら、米軍だけを搬出するという合意条項のため帰還が不可能になるところだった」と説明した。 国防部遺体発掘鑑識団がハワイに行き共同鑑識した結果、アジア系と分類されていた12人全員が韓国軍戦死者であることが最終確認された。 2012年5月、韓国国内に奉還された12人のうちキム・ヨンス、イ・カプス一等兵の身元だけが確認され、国立大田(テジョン)顕忠院に安置された。 鑑識団はその後、長津湖戦闘の戦死者遺族を追跡し続け、4年ぶりに10人の中からイム一等兵の家族を探し出したのだ。

 国防部関係者は「先ず京畿道龍仁(ヨンイン)に暮らしている遺族を探し出し遺伝子試料を採取し、イム一等兵を覚えている甥(長兄の息子)にも会って親姻戚6人の遺伝子を対照分析した」と話した。

 甥のイム氏は「私たちが欲しいと思うものを直接作って下さるほど懇切で手先が器用な叔父だった。 ある日、叔父の姿が見えないので尋ねたところ、4人兄弟の代表(4男1女中の4番目)として志願入隊した後、便りが途絶えたと聞いた」として「父親のたっての希望に従って毎年9月9日に法事を行ってきた。 正確な戦死日が分からず『霊魂が自由に往来する日』にした。 今年からは叔父が亡くなった12月6日に法事を行える」と話した。 母方の孫のクォン・スンヨンさん(79)は「実家と家が近くてしばしば遊びに行ったりした。 母方の叔父は高校生だったし、私は小学5年だったので一緒にいた記憶が多い。 歌も上手く英語もよくできた。 白骨ではあっても再び叔父に会えることを思えば、胸が詰まる思いがする」と話した。

 イム一等兵の遺骨は遺族の要請により6月に国立大田顕忠院に安置される予定だ。 残る9人の遺骨は身元が確認されるまで国防部遺骨保管所に安置される。

パク・ビョンス先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/740777.html 韓国語原文入力:2016-04-21 19:35
訳J.S(1516字)

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